Saturday, December 31, 2005

◯年の瀬の約束事。

私達が活動の本拠地にしている六本木鳥居坂の近辺は、もともと江戸時代からの武家屋敷跡だそうだ。
ここ10数年過ごしているMajestyは、浅野セメント財閥の浅野家の皆様がオーナ−である。建物の玄関口には、必ず四季折々に、季節の花が設えられ、建物の周囲には、先代がこだわりぬいたと言われる植栽が美しく配置され、東京の真ん中にあって、実は季節毎に鳥や蝶が訪れる自然サイクルに包まれたサンクチュアリでもある。

エントランスには、クリスマスには大きなクリスマスリースが、お正月には、大きな門松がしつらえられる。今年も入り口の左右に、松・竹・梅の紅白が彩られている。

小さい頃から、年末のしつらいには、父母もこだわりがあったので、「一夜飾りはしてはいけないよ」ときかされてきた。「することはきちんとして福の神様に感謝しなくちゃいけないからね」。いまだに、私の家でも、年を重ねた父母は、えっちらおっちらと門松をたて、お正月お飾りを玄関や家中の水回りや火回りにめぐらし、お正月の準備には余念ない。「気持ちがあらたまる新年のはじめ」のしるしには、子供の頃から、馴染んでいた。

Majestyの隣のシンガポール大使館も、花壇にクリスマスにはポインセチアを、お正月にはシクラメンを植えるという配慮があり、その美しさを眺めつつ、鳥居坂を下れば、そこは麻布十番商店街が広がる。歳末の賑わいは下町風で、通りのスピーカーからは、何だか昭和初期風の音色で「もうーいーくつねーるーとーおーしょーうがーつーーー」という子供の歌声が聞こえてくる。これもまた、味わいがあるものだ。でも、最近は、「お正月には、凧揚げて、コマをまわして遊びましょう」という風景は、見かけなくなったように思う。子供のころは、羽子板でつくばねをコンコンと音たてて遊んだものだったけれど。自動車にも、いまや、わざわざお飾りをすることも少ないようだ。でも、やはり小さな頃から馴染んだ父母の歳末の新年準備の影響もあり、Majestyでも、私たちの車だけには、ぞれぞれお飾りもきちんとつけて新年を迎える約束事である。

今年は年末年始返上での仕事体制なので、山積仕事の合間に、十番商店街で、基本的なお正月の迎え方の例年の約束事を考えながら散歩した。

1.一夜飾りはいけないので、12/29には、29−フクがくるようにと、十番商店街でお飾りを買った。毎年、職人さんが正月飾りの店小屋をたてる。そこで、玄関お飾りと自動車用のお飾りと、輪飾りをいただく。プラスチックなどは使わない、自然素材を使った職人芸によるものに限る。今年は、輪飾りのウラジロが大きく広くすばらしく、そこにそえられた白い紙の御幣も美しいので、玄関のお飾りも輪飾りにして、シンプルにお供えした。車のお飾りは、ちょっと小さめのかわいいのを愛車のフロントキドニーグリルの真ん中につけた。

そこで今日の散歩である。

2.ビスコというお花屋さんで、まずはぱっと開いた大王松に赤い実が連なる千両・万両をいただく。「バラの花もいいですよ」というご主人のおすすめで、そちらも購入。うっとりとした香りがよいお正月の生花を、オフィス玄関正面に活けることにする。ご主人がおすすめ上手で、「良いお年を!」と笑顔で声をかけてくれて、「縁起ものを気持ちだから、おまけしちゃうよ。」といって500円お値打ちにしてくれた気持ちがうれしい。

3.そのビスコの向かいにある明治23年創業の手焼きの銘菓の老舗、紀文堂さんで、七福神の手焼き人形焼きをいただく。香りが甘く香ばしい。七福神のユニークなモチーフの紀文堂の袋に商品を入れていただく。いつもその絵の楽しさについついにっこりしてしまう。七福神も思わず寛いで、お皿に盛られた紀文堂の銘菓を囲んでわいわい楽しんでいるという団欒図である。お店も繁盛で、吉祥の新年のお年賀にはぴったり。麻布十番文化のなかに、明治の雅味の風味が今に受け継がれているのはうれしい。

4.つづいてやっぱり吉を担ぐなら、めでたい鯛焼きである。自ずと知れた十番名物の浪花やさんで、2匹入手。スタッフと吉運を願って、めでたくほおばるのである。なんといっても、浪花やさんの鯛焼きは、下町情緒たっぷりの風情ある店先から、独特の濃厚な甘い香りがたちこめていて、ついついお店に引き寄せれてしまう。その年季の入ったお店の扉を開けて、代々受け継がれる鯛焼きの型でつぎつぎすばやく焼き続けているお兄さんに、「ください」と言っても、「2時間待ちだよ」とすげなく言われるのが、常である。前もって電話予約して、名前を言って、とりにいくのが、基本である。それにしても、そのあたまからしっぽまであんがしっかりつまったはいった、香ばしい鯛焼きの味は、他にはない魅力もうれしい。

5.そのお隣のたぬき煎餅である。ここには、店頭に全宝大膳神様にちなんだ、大きなたぬきさんの信楽焼が迎えてくれる。たぬきを象ったとっても庶民的なお煎餅なのに、皇室膳御用達の銘菓であるときくのもなんだか愉快だ。松竹梅などを作り込んだお正月干菓子を、日本美人の絵を描いた羽子板の形をした入れ物にいれてくれるので、スイスからの友人のために購入。日本文化の香りをうれしく受け取ってくれたらうれしい。

6.そしてやっぱり年越しは、年越しそばである。永坂更科総本家の前には、長い列。店内で食すのもよいけれど、店頭に用意してくれる年越しそばを持ち帰ると、毎年、おそばの上に「御宝船」が乗ってくる。なかには、初夢のために、枕下にしのばせる宝船の絵がはいっているのである。更科総本家蔵版の宝船の版画は、七福神が宝船に乗って、吉兆寿ぐ、それはめでたい絵柄で、そこには回文がしるされていて、いつも感心してしまう。「なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな」。上から読んでも下から読んでも回文である。明治の末頃までは、お正月元日には宝売りがいて、一艘の帆掛け船に、各種の珍宝を満載してその上に七福神の乗った絵を売りにきたものだとかで、実に天下太平を象徴する新春の一風物詩だったそう。その風情を、こうしてお年玉のように年越しそばのなかにひそませてくれる心配りは、数年前にはじめて包みを開いた時、想像しなかった期待以上の大きな感動があった。以降、すっかり、ファンになってしまい、毎年、日本に居る年越しには、必ず入手する約束事になっている。おいしいおそばをいただきながら、今年も平安に年越しさせていただけることは、誠にうれしい。


そのような歳末からお正月を迎えるにあたっての十番散歩から戻り、一年を振り返っても、今年は実に忙しかったけれど、新たな仲間達との出会いとその幅広い活動にも恵まれて、心新たに来年への鋭気を養うべく、新春を迎える心構えである。

本年も誠にありがとうございました。
新年もひきつづき、どうぞよろしくお願いいたします。

仲間の皆が、わーっうれしい!っと言ってくれるような仕事に誠実に取り組むことを、麻布十番の美味しい幸運をいただきながら約束いたします。

Friday, December 30, 2005

◯Blogの存在価値。

しばらくぶりにようやくBlogに向かう2005年の年の瀬である。

気づけば、前回記したBlog以降、もう1年半が経とうとしている。
信じられない。あまりにも悲喜こもごも、月日は移っていった。
こうして改めて向かうと、1年半前の自分と今の自分の心持ちや存在の差異を思う。

さまざま新たなプロジェクトを担って、出張続きになったのが、記録できなくなった理由だった。それまでに使用していたiBookのデータをこの新たなiBookG4に移行する時間がみつけられなかった。iBookで、このBlogにアクセスしようとすると、OSが2Ver.古いためアクセス時に必ずバグる。しかし、3年間仕事を支えてきてくれた愛機であり、手放せない。かといって、2台のMacを持って国内外の出張をこなす体力・気力と要領に不足していた。

調査・研究・開発・実証から資料制作・スタッフ育成・プロジェクト運営が常に複数並走していた。その合間に、こころの揺らぎもあった。どうも、あることに集中してしまうと、他へのバランスを欠き、何でも適当に押さえておくというような案配に知恵が足りない。
どうもぎこちなく集中してしまう。

それで、こよなく大切なものを、うっかりなくしてしまった。今、それをもう一度みつけたいと思う、でも、在処がわからない。もうどこかに行ってしまい、誰かが拾っていってしまったかのかもしれない。心の支柱であっただけに、こよなく寂しい。もともとそのような運命の出会いと別れであったのだと人に諭されれば、わんわん泣きながら仕方がないと、自分に言って聞かせる年齢の大人になってしまった。子供の頃から、大切なもののなくしものなどそのような時の失望は実に深いのだけれど、唇を噛んで、にじむ景色をぼんやり眺めながら、その痛みを味わっている。
ハートにバンドエイドが必要である。


それにしても一昨年の夏から日々どれだけのトレーニングマテリアルを作り続けてきただろうか?年末の資料整理をしていたら、まだあるんですか?まだこちらもですか?と、スタッフが目を回した。30用意したストレージBOXでは並走していたプロジェクトのソートが不足だった。私自身も、あらためて脳内がぐるぐるした。

今の鳥居坂のオフィスには、12年前に東京タワーのお膝元の麻布台から移ってきた。屋上から見える東京タワーのスケールが、ふもとからてっぺんまで一望に眺め渡せるジャストサイズになり、その美しさに魅せられて、今のこのMajestyに定めた。その10年間で作成した資料量と同等か、それ以上のドキュメント数が、このBlogをお休みしていた間の分、出てきた。

手間のかかるプロジェクトだった。ひとつひとつまだ目にみえていないVisionを多くの人達と分ちあうために、ともかく魅力的にエキサイティングに視覚化・物質化しなくてはならなかった。

だから、行きたいところ、会いたい人、逃してはならないタイミング、そのようなものたちから遠く隔離されざるを得ない状況にあった。それだけ、プロジェクトの中核を担わせていただいたからだけれども、それは、感謝と共に時にとても精神的に危機的状況にあったように思う。その危機的状況が、さらに創発的機会となり、何か突き動かされるかのようにともかくは手を動かし、頭と心を仕事に向け働かせ、出張行脚しつづけていた。

毎日、誠心誠意生きていた。と、思う。

でも、そのいったんでも、このBlogにわずかにも記して、居所をメッセージできていたなら、共に、ありどころをうしなうことなく、何か別の運命のSliding Doorが開いていたのかしら_?

Blog流行りである、時折覗くBlogで、実際には会うことが叶わなくても、消息を知るということができる時代だ。

ほんとうは、この東京に居て、同じ街の同じ空気を吸って、日々仕事や仲間と生活しているはずなのに、こんなに近いところに居るはずでも、コミュニケーションがとれなければ、居ないのと同じになってしまう時代だ。その人の頭や心のなかにその存在が無くなれば、消息は絶たれる。昔は、便りがないのは良い知らせといって、慰めもあったけれど、リアルとバーチャルの複層化するこのコミュニケーションの中で、便りがないままにいれば、一層、人の脳内の認識は薄らいで、その隙間に新たな情報化社会の他の情報の波がいっぱいいっぱい押し寄せてきて、頭の中・心の中にかつてあった古い存在のリアリティは、どんどん押しやられていってしまう。そこに変わらない何かを求める場合、<必然>と<偶然>という文字に見られるような<然るべき理由>が求められるようになる。

毎日読むことのできるBlogには、<Blogマジック>が存在することも、また事実だ。

仕事の業務連絡のようにユーティリティとしてBlogを使用するケースは別としても、誰もがのぞめば、社会に向けて自由に極私的な自己表現する手段をBlogは解放したことになる。日々のBlogへのアクセスを通じて、まるで自分に語りかけてくるリアリティを脳内に増すこともある、極私的なBlogであればあるほど、覗き見的なコミュニケーションリンクを許すかのように、きわめて私的な関係性をヴァ−チャルで深めてゆく。Blog社会の価値観のなかでは、我も我もと、そのヴァーチャルな存在のなかにこそ、自らのリアリティを実感してしまう<存在認識のマジック>が創出されるようにも見受けられる。

<居ても居ない人>。<居ないのに居る人>。

そのようなBlogを通じて脳内に生成してゆくヴァーチャルなコミュニケーションのなかに、リアルな認知があることを知っている人がどんどん現代のマジックを駆使してゆく。

そんな価値観が生み出す新たなマーケットの予兆を思う。

2005-2006カウントダウンは、スイスから来日している友人と共に東京の夜景を眺めながら、Roppongi Hills 51Fで迎えることになる。毎年大晦日は、海外に居ることが多いが、今年は、お正月返上で山積した仕事とデッドライン勝負で知恵較べである。このタイミングで、Majestyにスイスからの来訪者がやってきた。

思えば、スイスの友人だって、パートナーのリサが、昨年シロクマを極北の取材に出かけたときに出会い、以降、i-sightがあるからこそ、日本とスイスを瞬間につないでchatを毎日行うことができて、遠く時間も距離をも超えた実際の対話から友情が深まったのである。昔であれば消息を尋ねることが難しかった遠い存在。情報化時代、ITの恩恵は、愛をひきよせる。ゆえに、その価値創造時代のなかで、一層ブランクは、愛を見失う。