Saturday, January 07, 2006

◯「A」のパワー。

いよいよ本年も、早やプロダクティブ&プロアクティブな様相を呈してきた。徹夜仕事も早々で、時間と空間のフレームが、何が一般で何が特殊なのか訳がわからない時間と場所でめまぐるしく情報編集している感じがする。

しばらくコンを詰めてとりくんでいると、突然わーっと涙があふれてきたり、それ以上の思考が急遽ストップして、進みたくなくなる瞬間がくるので、そうしたときには、横になって瞬間の眠りに入る。そして、はっと気づいて、再び起居してMacの愛機に向かう。目の前のスクリーンの文字やかたちを見ていると反応的に指がキーボード上を無意識的にサーチして自然に動いてゆく。こう記すと何かが自動書記でもしているような感じだけれど、そんなことはなくて、やはり自分の脳内の情報結線が、フォルムを生み出しているはずではである。

反応の速さは、直感的に正しいものをつくりだしているように思う。右往左往悩ましい状況にある時、入力とデリートを繰り返している時は、まだしっかりとしたフォルムの形成が成り立たない。
時間切れで、時折、カット&コピー&ペーストで一応形づくってやっつけちゃうような時には、後になって良品は決してできあがっていないし、やはり着々と根を詰めて、努めて、時間切れが迫っても、もう一押しもう一押しでぎりぎりまで粘るものの方がよいに決まっている。

井上ひさし先生は、遅筆でたいへんに名をはせていらっしゃる大家でいらっしゃるけれど、結局、締め切りに追われるか、その締め切りを無視しても本熟成を頑なに守るかによって、後の伝説の旨味が異なるのだろう。
職人的仕事には、それなりの時間が必要なのだといいきかせ、手を抜いてはならぬ心に言い聞かせながら、頭と手がつながる情報が熟成してくるタイミングを願って、繰り返し繰り返し思考の試行を重ねてゆく。
でも、大家でもなんでもない私などは、締め切りは待ってもらえない、だから時間と空間を歪ませて、その合間のマジックをつかわなくてはならない、早打ち&平行思考技の編集力勝負となる。

ところで、そのようなことのためか、不思議なことに、どうも私の指は左手の薬指のタッチがひじょうに強いようである。
とりわけそのキーボード使用頻度が高いためかもしれないけれど
現在使用しているMac2台とも、「A」の文字のみ、すでに消えてしまっている。

それにしても、はて?昨年末に新しくしたはずなのに、たった10日足らずの使用で?
確かにずっと夜な夜な仕事だったけれど・・?

実は、昨年末までに永年使用していたiBook、「A」のキーも、他のいくつかのキーも、数年間の使用で、文字が消えて、プラスチックの中心がすり減って、中のゴムのアタッチメントが飛び出して、それでもがんばって使っていたら、いよいよそのゴムの突起もちぎれてしまって、Appleストアにキーボードの替えをお願いしたら、「3週間はかかります」といわれ、そんなに入院されてしまっては、仕事が立ち行かない状況になってしまうので、それでそのゴムを逆さまにさしこんで上からただしく垂直に押すとまだ「A」が反応してくれるので、ありがたいとばかり、それで使用していた。ところが、いよいよ年末の12/27のクライアントプレゼンの時に、その大切なゴム突起パーツがどこかにトンで行方不明になってしまい、いよいよ銀座のAppleストアにもちこんだ。

半分泣きべそで
「実はたいへん困っているんです、
 このAのようなキーボード状態を
 ご覧になったことがおありでしょうか?」と
ジーニアスバーのMac天才スタッフにお伺いする。

「あれれ、すごいですね、
 こんなになっちゃいましたか。」
「はい、たいへん愛していたMacなんです、
 実によく働いてくれたものですから。
 こんな状況になっても、
 頑張ってくれていたんです」
「愛していたんですね」
「はい、このような状況になった場合、
 すぐにキーボードを変えることは
 可能でしょうか?
 このような事態になるまでの使用例は
 ご覧になったことがないと思いますが・・」
「はい、はじめてですね、
 このような状態になるまでのものは。
 よく使い込んでくださったんですね。」
「はい、実は、キーボードをすぐに替えられないと、
 この年末、非常に困り果ててしまうんですけれど、
 何か方策はありませんでしょうか?」
「お困りなんですね。」
「はい、たいへん困り果ててしまうんです。」
「では、少々お待ちください。」

なんて頼りになるんでしょう!
ジーニアスなAppleストアのスタッフは、いつも困難な状況にある迷い子の救済を力強く導いてくれる、絶対的な信頼がある。背筋の通ったすっとした若い青年で、こうした対話を振り返ってみても、迷い子の心を包むコミュニケーションの基本対応を心得ている。
さすが、Apple・GENIUS !

そうして輝くばかりの救世主は、
ほどなくして戻ってきて
「キーボードのパーツがありましたので、
 すぐにお取り替えできます。」ですって!
ときめきながら彼の目をみつめてしまった。

「ありがとうございます!」
「10分ほどお待ちいただけますか?」
「あ、そんなに短い時間ですか?」
「はい、お困りなんですね?」
「はい、はい、そうなんです、
 よろしくお願いいたします・・
 あのー・・」
「はい、何でしょうか?」
「あの、勝手なお願いなのですけれど、
 その古いくたびれたキーボード、
 いただいて帰る訳にはいかないでしょうか?」
「はい、基本的には、交換パーツは、
 お客様には差し上げられないきまりに
 なっていまして、こちらでおあずかり
 することになっています。」
「そうですか、そうですよね。
 実は永年のつきあいをした、
 何だか大切な思い出のようにも
 思えたものですから」
「そうですね、大切な思い出なんですね」
「はい・・・」
「・・それでは、少々お待ちください」

そういわれて、ジーニアスさんは、Appleストアの奥の間へと姿を消していった。

ほどなくして、その人は颯爽と光と共に戻ってきた。
「お待たせしました、交換ができました。」
といわれてみると
ぴかぴかの新品キーボードが輝いている。

「ありがとうございます。」
「では、こちら、
 マネージャーに相談しまして、
 特別思い出があるということでしたので、
 今回だけ特別に
 お持ちいただけることにしました、
 こちらをどうぞ。」
「よろしいんですか?
 わー・ありがとうございます!」

こうしてApple エバンジェリストは、
生涯MacファンのBrand Loyaltyを
ますます強く深く感動的に定着させてくれたのでした。

私の仕事もこうでなくっちゃ。
ジーニアスさんに、心からの感謝!

取り替え直後の新&旧



ところが年明けて、また、すでに新たなiBookのキーボード
なんと「A」の文字が、もうすでに消えちゃた。
G4のキーボードも
昨日までは「A」が「△」になっていて、
いよいよ今日は「∧」になってしまっている、
不思議・不思議。

ジーニアスさん、これはいったい何故でしょう?
また、お世話になるかもしれません・・・

Friday, January 06, 2006

◯企業のDNAを考える。

日本の自動車メーカーの販売会社ネットワークに向けて昨年提供したプログラムについて、アソシエイツコンサルタントの深山・横山両氏とブレスト。六本木ヒルズの49Fライブライリーゲストルームで、東京の街並を俯瞰しながらの集中討議。

眼下の六本木ミッドタウンの高層ビルが、お正月明けにぐっと縦に高く横にしっかりとできあがってきているのが見えて、驚く。年末年始の合間も日々鉄骨がクレーンで上げ下げされて積み上がっていたのだろう。勤勉な日本のプロジェクト管理であることだ。

焦点は、実施プログラムのKPIと、フォローアッププログラムについての考察。冒頭に「インサイト」をつかむ課題を明示してスタートする。顧客にもインサイトはあるし、その顧客接点を担う従業員にもインサイトがある。その従業員をマネージする監督者や経営者のインサイトもあり、メーカーのご担当者のインサイトもある。その外内の関係において、どのようにインナープロモーションをしながらインサイトの実感を得られた波及効果をもたらすか、そこにはバリューチェーンをしっかりと俯瞰した視点の討議が重要だ。自動車購買のサイクルが以前よりもぐっとロングスパンになっているなかで、現場がお客様接点で担うべきポイントは、明らかにかつてのモデルと変化してきているのがみえる。人のこころのツボを押さえる秘策が必要だ。

人が何かをしたくなる瞬間をどう促進しうるか?
最初は「しなくてはならない」仕掛けから起こして、「できた」という成果達成のちいさな喜びを積み上げて、だんだんどんどん「したくなる」大きな組織的成果に結びつけるステップ。

その前提条件として何が必要であるのか?
個別性と普遍性のあわいを考察してゆく。

ツール・ロール・ルールを1/10までにどうにもプロジェクトプランして提出しなくてはならない。徹夜作業が、また今年もつづく。でも、求めていただいている喜びの中で、よりよいバリューチェーンを連鎖させてゆきたいと思う。人が休んでいる間にも、もくもくと積み上げてゆく情報価値創造。勤勉がいつのまにか、立派な構造を形成し、誰もがそれをみて、「ああ、そうか!こうすればいいんだな!!」と気づいてくれるセントラルヴィジョンを。今は、まだ外側からノックする小さな歩みの積み重ねだけれど、いつか近い将来に『ソッタクの機』を得て、だんだん日々生成発展するDNAシステムに組み込みたい。そのためには、クライアントの企業文化DNAを察知して、そのDNAのルーツから入念に設計してゆくことと、時代を見据えて、そのDNAがどのように本領発揮できうるのかという位置づけという複眼が必要であることだ。

「至誠天日を貫く」という言葉は、一昨年末、取材でイギリスのパディントンにあるクライアントのヨーロッパデザインセンターをご案内いただいた際に教えていただいた。その意味は「一生懸命誠実を尽くして仕事をすれば、その思いは天に通じ必ず道が開ける」というもの。中国の故事にちなむ。その言葉にちなんだシンボルの理念どおりにおつきあいさせていただいている現クライアントとは、もう早や3年目のプロジェクト展開を迎える。ホップーステップへの移行期となるであろう、本年。思えば、この2−3年間に、公私の境なく朝に夜に集中させていただいたプロジェクトである。多くの仲間達も同志となって活躍する場になってきた。このステージをどのように飛躍させてゆくか。じっくり思案を繰り返し、その企業DNAに惚れ込むという技をなしてこそ、プリンシパルを得られるのだと思う。

しっかり追い込んで、未来に誰もがにこにこする嬉しい仕事のかたちをととのえましょう。
そのように学習する組織づくりの好機となす。

Thursday, January 05, 2006

◯アメリカブランドとジャパンブランド、そしてヨーロッパブランドを考える。

昨年からNYを起点にするファッションブランドの調査をご依頼いただき、ブランドコミュニケーションのコンタクトポイントのミステリーショッパーを実施してきた。そのレポートを報告しに半蔵門に出かける。これまでLVMHグループのファッショングループでChristian Dior,CELINE,GIVENCHY,KENZO、海外でLouis Vuitton,FENDI,LOEWE,ウオッチ&ジュエリーグループでCHAUMET,TAG HEUER,FRED,DE BEERSの方々と、顧客接点のブランド伝達デザインを手がけさせていただいてきた。
古くは18世紀からの文化ルーツをもつブランドのものづくりの歴史・哲学・技法をどのように今に伝えるか、LVMHは、ラグジュアリーブランドを傘下におさめる世界でナンバーワンのコングロマリットである。その哲学は「伝統と革新」。顧客とのコンタクトポイントにおけるコミュニケーションにも、この伝統と革新を香らせながら、設計する必要がある。

今回はMARC JACOBSである。VuittonのデザイナーもつとめるMARCのコレクションは、日本市場展開では、ルック社がライセンスで手がけておられる。その調査報告をさせていただいた。

日本のビジネスのなかでブランドの位置づけは、昨今とても興味深い。CSR(企業の社会責任)についても、本来はブランドプロミスの一環でなくてはならない。しかし、ここ8年ほどパワーブランドの仕事に関わるが、日本のブランドビジネス認知は、ブランド=ブランドネームになりがちで、どうしても、ラベルの効果波及にとどまりやすいような気がしている。ヨーロッパブランドは、これとは異なる。日本の職人に通じる気質と今に伝える技法にこそブランドがあり、そのような職人さんへの限りない敬愛がある。
ものの文化と精神の文化をこれだけ分化してしまったのは、日本の戦後の物質社会の残存であろうか。
もののかたちにそなわる、ものづくりの精神と奥義に、どうも日本の一般社会は無頓着なように思える。
それが「なぜ誕生したのか」というロジックよりも、「すごいいい」「かっこいいからいいじゃない」と感覚的に片付けてしまう。かつて西洋文化を取り入れながら日本の技法も見つめていた和魂洋才の精神が、物質社会のなかで西洋追随となり、日本の得意とする外来文化受容の本質的精神が断たれ、単にステータスを誇示する品格貧困となってしまうことのプロセスがあった。そのなかで、確かなジャーナリストのメッセージが損なわれてきたように思える。ブランドでは、顧客教育ー文化伝導が重要なのである。

BMW社とは、永年12年前から数年前までCS教育のプログラムやビデオ教材開発などのおつきあいをさせていただいたが、フィロソフィーが一貫した車づくりが行われているので、その厳格な精神が、中途半端を許さないクオリティを徹底して約束しているブランドだった。LVMHも然りである。フランスの素材とカッティングは、限りなく繊細であり、審美性を今の時代に伝統と革新の両面から継承する。ダイヤモンドの輝きにも歴史と哲学を添えてストーリーが広がる。

日本は品質管理の優れた国だった、しかし、今や国内の職人職は乏しい、コスト面から中国・東南アジアへと安価な人材供給へと世界は移行しつつある。ブランド品もラベルをよくみれば、ネームはあるが生産地は、中国・インド・スリランカ・インドネシアさまざま多様である。そのこと事態は問題はない、グローバルブランドが、グローバルに生産拠点を広げることが適正であれば、なによりよりよい。しかし、クオリティが問題である。実際、なぜ、縫製やフィニッシング、スタイルライン、質感の違いがこうも出てしまうのであろう?現地マネジメントによるのであろうが、はやり人を育て組織装置を育て、はじめてブランドプロミスが守られる。その細やかさにおいて、一度教育がなされれば、中国も東南アジアもすばらしい手の持ち主だ。その文化伝達のグローバル化について、今回の調査はさまざま思いをかきたてられるものだった。

アメリカのブランドは、ダイバーシティのアメリカ合衆国にあって、誰の目にも輝くアテンションのマーケティング手法が際立つ。ルックスグッドという目立ち方が、いかにバズ(口コミ・評判)に乗ってゆくか、大きな国だから、マスメディアにうまくジャーナリスティックにのせることが重要で、その仕掛けのうまさがあると感じる。デザイナーは、何か他とはちがうストーリー性を抱いた彗星のようにキラ星のかっこいいスターでなくてはならない。「うまくやったね、ラッキーだったね」という、大衆から夢の成功への憧れを集めなくてはならない。ブランドはイマジネーションだ。

ヨーロッパのブランドは、こだわりぬいた思想・哲学の深みからものごとを起こし、その巧みの技法を競う。職人のこだわりとして何が他とは違うのか、そのディテールを重視して語り継ぐ伝統こそを重んじる。すぐれた知性と研ぎすました感性と守られた地位に支えられ「ミューズ(美の神)がほほえんでいる」という、美の定理に従った賞賛と評価が、すぐれた目利きからエッセンシャルに得られなくてはならない。ブランドはステータスだ。

さてジャパニーズブランドは?
まずは日本の場合、ブランドとは何かから定義を共有化する必要があるようにみえる。日本では、ブランドはアイデンティティとして探る傾向があるように思える。ブランドはディスプレイだ。それは、日本人が装いの民族分化をもっているからだろうか?鳥が求愛するときに、雄はディスプレイといって、羽を美しく飾り立てる。日本民族とは、さまざまなものを身につけて意匠を自己表現にしてゆく情報編集民族であるということを考えてみれば、ディスプレイ民族と要約できるかもしれない。適齢の青年青女が、すてきな彼がほしいから、おしゃれな彼女でいてほしいから、というような動機で、ブランド消費を高めてくれているのが日本社会。他国には見当たらない興味深さがある。だから日本市場への参入海外ブランドは、どんどんブランド消費をあおるために、ターゲットをかぎられた富裕層ではなく、ちょっとリッチで背伸びする若者という裾野にターゲットをフォーカスした。それがよかったのかどうなのか。ブランドのコモディティ化を懸念する向きもあったけれど、日常のブランド馴染みが文化成熟に役立って、よいものを見つめる本質的な目を養ってくれたのであれば、よりよい。ものからこころへ、かたちから精神の核へとつながる文化創造は、次世代の活力の原点だ。

転じてジャパニーズブランドをみつめたい。
かつては、世界のブランド認知でSONYがジャパニーズブランドを代表していた。
デザインと品質の高さが、他になく評価された。加えて海外マーケティングに力を入れてきた盛田氏の先見の尽力が大きかった。そして、ウォークマンなど身につけるブランドがブレイクした。SONYを選択し、SONYをもっていることが、あるスタイルを示していた時代がある。今で言えば、世界的ブレイクのi-Podだ。SONYが、その位置をAppleとコラボレーションできなかったことが残念だ。一時、スティーブ・ジョブズは、SONYとの協業をもちかけたときく。もともとAppleのパッケージデザインを立ち上げる時に、SONYデザインに憧れをもってならったという話もあり、かつてのSONYの影響力を思う。サムソンだって、かつては工場内に、SONYのディスプレイとサムソンのそれを並べて「どうして僕たちはSONYがつくれないのか」とベンチマークして鼓舞していたというのは、有名な話。早や、伝説になりつつある。「他のやらないことをやる」がブランドプロミスだったSONYが、今、とても元気がないのは、出身者としても気がかりだ。

先日、ある年配の方とお話していたら、お孫さんが20歳代の大学生。お正月にあって、話をしているときに「オーディオを買うのならSONYにしたらどうだ?」と言ったら、「SONYなんてダサいよ。」という返事。「どこがかっこいいの?」と尋ねたら、「Panasonic」がスタイリッシュでかっこいいそうな。

今年、SONYのブランド伝達のプロジェクトを新年早々に抱えている。ベストを尽くしたい。

Wednesday, January 04, 2006

◯理想のカタチ、こころの姿勢。

さて、二期倶楽部3日目

それにしても、二期倶楽部には、北山様のお人柄がすみずみにまで、行き渡って感じられる。
人をもてなすにはどのようにしたらよいかと心配りされたヴィジョンが、くつろぎ衣服・お夜食・アメニティ・レセプション・BOOKS・MOVIE・SPA・ガーデン・・・を入念に創造してくださっている。

世界中のトップクオリティといわれるリトリートホテルに、私自身かなり滞在経験がある方だと思うが、二期倶楽部は、そのなかでも至ってスピリチュアルなハイクオリティを形成している。ビジネスからスタートしたというよりも「こうありたい」というヴィジョンからスタートした高い理想のホスピタリティへの挑戦がひとつひとつ形を成していっている。その断片は、どこを切り取っても美しく、こころからの感動と感謝を思う滞在をさせていただいた。それは経営効率もさることながら、「理想郷」の具現に向かう高い精神性と実現力とともに、そこに居る人の快適性を、その人の立場にたって実現する豊かで真摯な想像力あってのことだということが、あらためて感じられた。二期倶楽部には、実は4年前にも滞在したことがあるが、当時よりもずっと、理想のスピリットが進化・深化・真価を放ってみえた。年月と共に深まるゆとりに、ゆったりうっとりした。

チェックアウト後、二期倶楽部内で自家栽培していらっしゃる畑にお誘いいただき、クマさんこと山中さんご夫妻が作ってくださる手打ちのおそばとおやきにあずかる。

ほのかに緑色の美しい手打ちそばは、釜揚げてすぐにいただかなくては風味が変わるので、「さあさあ、すぐに召し上がってください」と言われるままに、ささといただくと、その鮮やかで瑞々しい味わいに、また新年のあらたまりを思うものだった。日本のトップ3の北海道・信州・那須の特別なそばをブレンドして、ある秘策で、このようなおそばをつくりだしたのだそうだ。

山中さんのご主人は、本や文献で学ぶことよりも、直感力を駆使した身体感覚でものごとをずばっとつかむことをなさる。「この人は漢字を読めないんですよ、でも、何かに書いてあることじゃなくって、この人のもっている本能的な力で、このそばのつなぎも発見したし、岩魚もどこにいるのかなんて、すぐにちゃんとわかるんです。」と奥様が、囲炉裏のおやきを焼く手を動かしながら、うれしそうに語ってくださった笑顔が忘れられない。

「岩魚はね、人が15匹とるところ、僕はその5倍はつかみますよ。」とにこにこしていらっしゃる。ああ、あのもてなしを受けた暖炉の前の岩魚も、クマさんが穫ってきてくださったのだなと、その味のすばらしかったことを思い出しつつ、その秘訣は?と伺うと、「川にはいるとどんどん岩魚がボクに寄ってくるんですよ、だから素手でね、すぐにとれちゃう。」と、それはそれは豪快なお話。すかさず奥様が「この人が岩魚そのものになっちゃうんですよね、水のなかにはいると。」とおっしゃる、さもありなんな雰囲気のクマさんだ。岩魚の気持ちになれば、魅力的な岩魚の仲間に引き寄せられるように親しんでクマさんの足下にすり寄ってくると、そのまま美味しい薫製への運命が待っているのだから、少々気の毒だが、もしかすると岩魚にとっては至福の時なのかもしれない。クマさんには、大自然の豊穣の恵みを神様から許された何かが秘められているのかもしれない。

「<気>なんですよ、こうしてね、手をあわせると中がほーっとあたたかくなるでしょう?ね?手そのものはこんなに冷たいのに、中がこんなにあたたかい。」といって、父や母の手をとって、クマさんのあたたかなエネルギーを注いでくださるものだから、すっかり父たちも母たちも元気・陽気・覇気をいただいて盛り上がりましたた。ありがとうございます。

こうしてビッグファミリーの旅も東京駅に無事到着し、最後に今日が母のバースデイのお祝いに、皆で東京駅のステーションホテル「ばら」で会食。昭和時代に正当な仏蘭西料理を志した雰囲気が、ノスタルジックに室内装飾やスタッフのたたずまいに香る。実は、このホテルもこの4月にクローズ。2011年まで改修工事を入念に行って、戦前の東京駅の構造ー明治時代からの本来の姿に生まれ変わるそうだ。「こうありたい、こうあったほうがよい」という優れた人達の思いがあって東京駅を高層化させないヴィジョンに落ち着いたことは、なによりの報恩だと思う。懐かしさと名残惜しさの混じった気持ちで、バラの花を贈り、楽しくお祝い。高校時代には、ずっとこの東京駅を経由して、矢口から九段まで通っていた。その朝のラッシュアワーの中で、乗り継ぎの電車から、いつもこの煉瓦のホテルの窓越しに、白いテーブルクロスに銀食器で朝食をとる人達の姿をみていた、その頃の自分のまなざしを思い出して、ちょっと不思議なタイムスリップにおちいった。今、年を重ね、年配家族と一緒に食事をしているミドルエイジの私の姿を、15歳の高校生の私の目が、窓の外から覗いているような不思議な感覚。

それというのも、レストランに入る前に、東京駅お向かいの丸ビルで「抱えきれない夢」を見た。すっかり50年前までさかのぼるタイムトリップも一因である。渡辺プロダクション創立50周年企画。日本のエンターテインメントの50年である。渡辺プロダクションの渡辺晋・美佐夫妻が、当時まだ存在しなかった日本の芸能という領域のエンターテインメントビジネスにどれだけ「こうあればよい」というヴィジョンを注いで、タレントの発掘から育成までのトータルマネジメント戦略を確立していかれたのかが、理解できた。この50年間手がけてこられた日本のエンターテインメントのルーツには戦後の米軍キャンプのジャズからカントリー&ウエスタンのアメリカ文化の洗礼があって、その先に日劇ウエスタン・カーニバル。母達には懐かしかったようだ。そしてロカビリーからサーフィンブーム、グル−プサウンズ。そしてテレビの時代・映画の時代・音楽製作の時代。バラエティの展開が描かれる。

年末の紅白で感じた一抹の残念のルーツは、ここにあった。会場内のいたるところでなつかしいバラエティ番組ーシャボン玉ホリデーやレコード大賞、新春隠し芸大会など数々のTV映像が流れ、その番組の生台本が展示されている。台本の言葉やト書きが、丁寧で品格があり、ステージ全体構成が俯瞰されている脚本だ。絵も入り、そこで何がおきてどのようなゴールを迎えればよいのか、ステージで何をみせたいのかがはっきりとヴィジョンされている。言葉ひとつひとつがスクリーニングされた善良なエンターテインメントとして、そこに拓く。どんなに手間をかけてつくられてきているのか、人の感動や喜びや笑いに何を届け、差し出したいのか、手に取るように読み取れた。そこには「あこがれ」が灯っている。「こうなりたい・こうあったらよいのにな」という高度成長期の日本のこころの反映がある。そこから輩出されたタレントも、やはり、時代の文化を紡いで、人の夢やあこがれのなかに存在したのだと思う。昨年末の紅白はお手軽に見えた。今風のプロデューサーの考え方だったのかもしれないが、夢の世界を描くのではなく、現実の情報編集にとどまってみえた。コラボレーションで何かが高まってゆくのではなく、人気タレント(それもなぜ人気なのかはわからない時代のながれのなかで名をあげた目立つ存在)を連続的に並列させてカタログ的なつくりのなかで、タレントが個々にその場をにぎわすお祭りに終始する。互いの波長をつなげて垂直に高まって昇華されるのではない、ただ横並びのカタログ的プロデュースが大衆文化なのであれば、そのようななかに成長.発展は乏しく思える。次世代に受け継ぎたい文化のヴィジョンー俯瞰した文化再構成による価値の発見や昇華が欠けていたように思える。要は、タレントを起用して活かしてときめかせる再編集性の目利きとなるプロデューサーの位置づけが見られずに、そのまま剥き出しの羅列展開でしかなかったということだ。何をつくるかということではなく、何を出したかという、出し物番組だった印象だ。

けれど、後で聞けば、視聴率は例年になく高く人気もあったとか。よくよく聞けば、その視聴方法はザッピングが主流らしい。ちょっと見て、他のチャンネルの裏番組をチェックし、また戻り、というあちらもこちらもノンリニアな紅白歌合戦観賞方法なのだそうだ。どうも落ち着かないが、その落ち着きのなさが現代で、あふれる情報のなかに踊り、スウィングしながら、遊べれば、それでよいのが、今の大衆文化なのかもしれない。それであれば、連続性も対話性も不必要だ。情報に乗り遅れず、情報を広く浅くさらってメジャーをつかんでゆくのが、時代とつきあう賢明な秘訣なのかもしれないけれど、そこには美しい文化の香りがないように思える。深まりも芳しさもみあたらない。そのなかで育つ世代の価値観が、次世代の文化を担うとすれば、過去の文化の香りを今に伝え、更に革新してゆく文化継承の責任もあるように思えるのだけれど。

しかし、ただ言うだけで手をこまねいている今日この頃。
落ち着いて熟成する香りと品を探りたい。
時折、タイムマシンに乗って。過去に未来に、縦横に。

こころある人達とこころみたされる時空間を会得するのは、そのような波長と粒子の細やかさに融合する、やはりきわめて私的な個別性のなかにとどまらざるをえないのかしら。

メジャーな方が、世間にメッセージ性は強く出せることだろう。
でも、メジャー性を勝ち取るためには、細やかさよりも大きな括りの戦略をもった方が総括しやすくなる。
だから、そのメジャー性が、こよなく大切なものを損なうことがあるのであれば、そうでないものの中に潜んで、本質的な輝きをみつめつつ、別のアプローチも模索したいものだ。形而上の純粋精神を、人生において手放ししたくないと感じる。
そのような姿勢の上で、メジャーをとってゆく本物の姿に光を見い出したい。

Tuesday, January 03, 2006

◯人生の順番。

二期倶楽部2日目。雪は降り積もる。

温泉もすばらしい、お食事もすばらしい。
昨晩は、まるで『パペットの晩餐会』だった。
これまでにいただいたことのないような意欲的な創作料理。頂きてのことを配慮したシェフのこころづかいを思う。父も母も。同行したパートナーの父も母も、一同6名、一品一品に「!」「!!」皆でマジックにかかったような時空間だった。
全面のガラス窓から、外には、雪景色が美しくひろがる。空からの雪のひとひらひとつひとつが、すべて異なる結晶のかたちをしているという大自然の妙と、こうして夢のようなひとときを二つの家族と味わえることの妙がつながり、心いっぱいの嬉しさとともに神妙になってしまった。

私のことを第二の娘と呼んでくださる第二の家族も居る。両家の年配の父母達と、こうして共に幸せな時間を過ごすことができるのは、あとどれだけあるのだろう?
両親達にしてあげたいこと、喜んでほしいことは、まだまだたくさん残しているけれど、人生には順番があるようで、一気にスキップはできかねる。

「雪は天からの手紙」という中谷宇吉郎氏の言葉を思いうかべながら、「運命は天からの手紙」あってのこと、人もまた大自然のなかにすべて異なる結晶をもって存在する。その結晶の美しさは、どれも異なり、どれも価値ある。それはまた、天からの恵みでもあるのだから、コーリングを待って、目の前のひとつひとつを丁寧に感謝とともに、またひとつひとつ結晶化させてゆこう。そのようなことを考えながら、国産の最高級に美味しいワインはこれです、と支配人におすすめいただいた美味しいワインにすっかり酔いしれる善い宵だった。

Monday, January 02, 2006

◯一期一会の二期のぬくもり。

那須の二期倶楽部にお世話になる。
雪深く、まだまだ空から注ぐ雪のひとひらひとひらが降り積もる。
まるで、新年にすべてがあらたまって浄化されていくかのように、静謐な時間と空間がそこにある。
もちろん、豪雪地帯の方達のご苦労を思えば、雪の美しさばかりにひたってはいられないけれども。

昨年から、毎年お正月に、家族を連れて、無事の感謝と更なる祈念をこめて旅行をするようになった。
以前は、ちょっとがんばってHAWAIIあたりへの海外旅行も企画したけれども、それもちょっと難儀になり
日本ならではの温泉でゆっくりゆったり身体を労ることができるように、こだわりの旅を2泊で用意するようになった。

70歳の年、父は脳梗塞で倒れた。丁度、2年前の今日だった。母から「お父さんが救急車で運ばれた」というあわててとりみだしている声の電話。ついにそのような時が来たのかと「大丈夫だから、すぐ、行くから」と携帯電話を切って、急いで指定の救急病院にかけつけると、何本もの管を身体に引き込んで苦しそうに呼吸している集中治療室の父の姿があった。お医者様には「脳の運動野の部分が殆どカゲになっていますから、半身不随は覚悟してください」と言われた。「階段やお風呂など家の中の構造をバリアフリーにしなくてはならなくなるでしょうから、退院後のカウンセラーもご紹介します」の言葉がとてもリアルだったことを覚えている。

しかし、父の回復力は目覚ましかった。「何だか、頭のなかがぼーっとする、なにがなんだかわからない」と、一命をとりとめた後の父は、自分の変化が最初は認められないようで、常に焦燥を訴えた。そのような時、何だか目から涙がこぼれて仕方がなかったけれど、病室でもいつも笑っていた。「あはは、パパだけじゃないのよ、私なんていつもぼーっとして、昨日会った人の名前だって出てこないことがある。ママだって、いっつもボーッとしているんだから。」と、ともかく気休めにすぎないけれど、不安を溶かす努力だけはした。父の回復は、とにかく家族をよりどころとする安心からはじまると信じていた。やがて、救急病院から脳梗塞の専門の先生がいらっしゃる病院に移り、窓からは見晴らしのよい景観がのぞめる個室で優雅に過ごせる環境を用意した。父にとって、自分自身の輪郭を確認できる、何の気兼ねもない安らぎを与える空間が必要だと考えた。

すばらしいリハビリ環境を与えてくれるその病院は、めざましい父の精神の回復を与えてくださった。脳の構造は、70歳にもなった人の脳であっても、そのみずみずしい再構築の働きを実現させていった。日々観察していると、最初はラジオ体操をしていても、脳の認知が身体に送る司令が2、3テンポ遅かった。そのように、父の身体の中の時間は流れているようだった。それが、繰り返しリハビリを繰り返すうちに、いったん切れて使えなくなっていた神経網が、再生してつながってゆく。繰り返し繰り返し学習してワイヤードされてゆく。父との対話を通じて、今、脳内にストレージされているどの記憶がどのようにひきだされているのかを、常に考えさせてくれる好機を与えられた。新たな記憶はなかなか結びつかないが、70年間の父の人生の中で深く根ざしていた記憶は、消え去ることなく、そのインパクトがどれだけあったかによって鮮やかに記憶は、潜在意識から意識の表面に呼び出されてくるのがわかった。半年後、父は退院した。自動車の運転も、よく覚えていた。免許の更新にでかけ、見事に認証をとれたといって喜んで、幾度も、その証書を見せてくれた。以前よりも一層、安全運転をしている父は、確かな存在になった。「でももう、昔のようには複雑な仕事はできなくなっちゃった」と生涯現役をめざしていた父にとっては、それが心残りのようだが、元気で自分の足で歩き、対話の反応よく、しかも、さまざまなことに子供のように関心と感心を示すようになった新たな脳と心を得た父の日々の姿に、生きることの意義を学ぶことは多大だ。

その父の姿によって、見える景色も変化する。これまで男尊女卑的きわめて日本の昔の男性であった父がめっきり子供のようなやわらかい心になり、母の存在に頼ることになって、母の心も一層やわらかくなり「私がついていなくっちゃ、お父さんは困っちゃうから」という意気揚々のほど、夫婦仲はこうして晩年に溶け合ってゆくのかと、自らの両親をみて手前味噌だが、そのおしどり夫婦ぶりに学ぶ次第だ。人生の彩を思う。

その父母を喜ばせることも、日頃のあわただしさからはなかなかかなわないけれど、ちょっと落ち着く新年の日々の透き間である。

それにしても、二期倶楽部のもてなし・しつらい・まじわりの配慮には、心に沁みる格別の情があった。
代表取締役の北山様から、お話が届いていたのかもしれないし、予約の時に「父母と大切なひとときを過ごさせていただきたい」と、暖炉のある部屋をお願いした、そのときの言葉を受け止めてくださっていたのかもしれないが、そのプロフェッショナルな支配人の方々の心づくしに、心からの感動を覚える。

父は、すでに外見的には、普通の年配人と何らかわらない印象に見えるが、心は子供がえりしているところがあるので、至ってシンプルで純粋にものごとを楽しむことができるようになっている。だから、時折かわいらしく「うわーいいなあ、すてきだなあ、これはどうなっているの、そうかなるほど、すごいなあ」を素直に連発する。それは、感性が響く人同士であれば違和感はないだろうが、一般的な大人同士のつきあいから行くと、ちょっとびっくりすることもあるかもしれない。まあ、かわいいおじいちゃん風なのである。

雪の道を通って、部屋に通されると、暖炉の前にすてきな新春の贈りもの。
「新年ですので、若竹を切ってきました。お正月の鏡割りした樽酒を入れてありますので、若竹の香りと共にお楽しみください、そちらは、岩魚を薫製にしてありますので、ご賞味ください。」と言われる。日本酒好きの父は、にこにこである。岩魚を暖炉の火の前に、「わー、すごいなあ、いいなあ、これ、おさかな?いただいていいの?おかざりなの?」
そうです、すばらしいお酒のお肴です。頂戴しましょう。

暖炉の火も暖かく、それ以上に人に喜びをと豊かなイマジネーションでご用意いただいた新春の美しいしつらいの温もりに、心あたたまる。ほんとうにありがとうございます。

◯新春事始め。

午前中に、昨日いただいたお年賀のお返事を仕上げて投函。
午後一番から、アソシエイツコンサルタントの深山さんと、さっそく新春討議。今年の案件いくつかについてブレーンストーミング。
その案件のどちらもが、ブランドコミュニケーションを通じて販売効率を向上するための、インキュベーションシステム構想である。
昨年末12/27にご発注いただいた仕事があり、新春明けて1/10には、その基本構想を仕上げてご提出するお約束。
その企業の販売効率を高めるためのブランド活性プロジェクトなので、経営効率にも関わる大きなプロジェクトだが、時間が無い。
新春から一途なミーティングをもつことになった。

これまでの仕事を振り返っても、3−6ヶ月は要していたはずのブランドコミュニケーションの取り組み仕事を、昨年頃からは、2−3週間で仕上げてゆくようなスピードが求められてきている。おつきあいさせていただいているクライアントの皆さんのニーズが急がれるのだから仕方がないが、なかなかハードである。時間的制約から、取り組めるプロダクトの量は限られてくる。質は落としたくない。
そこで、重要になるのが、現場にそのブランドブックを投入した際の効果性を正しく想定できる、有効情報のスクリーニング力である。そして、制作する時間を稼ぐための不眠不休となる。

クライアントの皆さんとも長くおつきあいするほどに、だんだん意思疎通が早くスムーズになっている。求められている様式や要求水準は理解を深めてきているから、仕事への取り組みも、求められるゴールセッティングを明確にさえしていただければ、その後の仕事は集中して、大きな無駄はなく、かなりのスピードでパフォーマンスをあげられるようになってきた。ゴールにヴィジョンを明らかに設定できさえすれば、そこに何が起きればいいのかが自明となり、そこで昼夜兼行の情報編集力の駆動がはじまる。

Aの情報・事象を企業と顧客のコンタクトポイントに入力したら、組織に何が起きるか。何が出力されると想定できるか。
Bの情報ではどうなのか?AとBの情報であれば、その先の現場の受け入れとそこから派生する影響力は何が想定できるのか。
全国のあの拠点・この拠点・あの方・この方・・マーケット状況・お客様反応・・・他社競合とのベンチマーク・・・
さまざまな要因を脳内で掛け合わせてゆく。

膨大な過去の分析データもあるにはあるし、そのデータから読み取る過去実績は、あくまでも参考として読み取りはさせていただくが、未来志向には正しい導き手にはならないと痛感している。いまはまだ目に見えていない、存在していない、これから未来のことを創出するためのプロジェクトなので、過去の縛りからは解き放たれて、ともかく未来に何が起きればよりよいのかという正しい直感を駆使して、ヴィジョナリーコンサルティングを進めてゆくことになる。

まずは、ともかく現場情報のエッセンスにつながって、そこで実証的に得られてきた有効情報を集めて、好影響力を与えてゆくであろう情報編集を限りなくヴィジョナリーに進めてゆく。そのために良質の想像力が求められる。
何が良くて何が悪いかというと、過去のデータにとらわれてしまったり、こちらの事情でコントロールしようとする意図が介入すると、現場の人達の反応についての想像が行き詰まる。そうなると、もう一度、原点に戻って、現場の人達の心の動きの波のなかに、ダイビングして、どのような情報であれば、欲しがってくださるのか、そして、有効活用して、その先に小さな成功事例からひとつひとつ積み上げて、大きな自信と誇りへと連綿とつなげていただけるのか、思考実験を繰り返し繰り返し行ってゆく。

現場の人達のお顔が、ブレーンストーミングしているこちらの頭の想像力のなかで、いきいきとヴィヴィッドに見えてきたら、ようやくGOサインである。

何かに前向きに誠実に取り組んでみたいと思わせる、人の心の動きを生み出す仕掛けづくり。
そして、その行動変容を生み出す契機づくり。
更には、その取り組みが確かにキーパフォーマンス指標を充分に満たすことができる原理づくり。
そのような装置化のための本日のミーティング、お茶一杯で、5時間があっという間に過ぎ行く。

そういえば、昨年の今頃も同じように、中国プロジェクトのブレーンストーミングをしていたのだった。
昨年もお正月返上で、中国市場のリサーチに北京・上海・広州の自動車ディーラー調査に出ていた。
このようなことの繰り返しで、あっという間に人生は過ぎ行く。
それが、きっと、神様から与えられた人生のミッションなのだろう。
そうなると、流され行く日々のなかに意義を読み取ることも生きる知恵となりそうだ。
こうして過去と現在を複眼で眺めながら記してゆくのも、また、味わいあるもの。
そこから、見えてくる情報編集の妙味もあるもので、そこに未来志向も交えることができれば、一層興味深い。

今年も、皆さんに喜んでいただける情報価値あるメソッドと、わかりやすくて魅力的なツールと、そこにいることでわくわくして嬉しさでいっぱいになってヴィヴィッドに動きだしたくなるようなステージの設計を通じて、お役に立てれば幸いである。

七福神の人形焼きをぱくっとほおばり、神通力をいただきながら、そのような好機を与えていただいていることに感謝・感謝、お正月からせっせと一仕事。二仕事。

Sunday, January 01, 2006

◯日本の新春の迎え方を考える。

2006年を迎えるカウントダウンは、六本木ヒルズ51FのHills Clubで迎えた。午後11時にでかける。見下ろす東京の街も、すでに寛いで新年の訪れを待つかのように、いつもより静かにゆったりとみえる。
遠く、品川やお台場、丸の内の赤いフィラメントも、その点滅が、ゆるやかに新年へのカウントダウンを刻々としているようだ。その中心に、橙色のぬくもりある光を放つ東京タワーが屹立とその姿を輝かせている。それまで2005という数字を掲げていた展望台のサインが消えて、今頃は、2006へのサイン替えの準備をしているのだろう。確か2000年から2001年への大晦日から、その年号サインを掲げるようになったと記憶している。

シャンパンの泡がほのかな蝋燭の光のゆらぎのなかにふつふつと立ち上る。

これまでのいろいろなことが思い出された。嬉しいこともあったし、悲しいこともあったし、何だかわからないうちに、人生が運ばれていってしまったこともあったようにも思う。意図してもしなくても、何だか人生は、付与されてゆくものが準備されているようにも思えて、少々、あてどもない気持ちになる。
新たな年には、何か大切なことを、しっかりと自分の中に芽生えさせたいと思いながら、今年はどんな年だったか、来年はどのような年にしたいか、などと、パートナーのリサとスイスからの友人とよしなしごとの話をしているうちに、「60秒前からは、カウントダウンしますので、皆様、お飲物をもってご起立を願います」というMCの声が、ゆったりとしたジャズバンドの演奏の合間にきこえてきた。60秒前になったら、アナウンスがあるんだと思うようなコメントなので、誰も立ち上がることなく、そのゆったりとしたジャジーなバンド演奏のリズムにたゆたって、寛ぎモードで、しみじみ行く年来る年の話に花が咲いていたら、突然「20秒前です、」とMCが言うので、驚いた。「えっ?」と言った瞬間に、「10・9・8・7・・・」と突然、カウントダウンがはじまった。思わず手元のグラスを持って、友人と「5・4・3・2・1・Happy New Year!」と言ったら、もう新年の訪れだった。クラッカーがパンパン!!となって、東京タワーが2006を掲げて、遠くディズニーランドの花火が華麗に次々に打ち上がってゆくのが見えた。

海外では、こういうパーティの時には、もう少し景気のいい音楽でジャンジャンカウントダウンするので気分もだんだんに盛り上がるが、今年の日本のこの行く年来る年は、どちらかというと、のんびりと暮れてぼんやりとやってくるような感じがあった。これもまた、海外風を狙うけれど、いまひとつどのように展開したらよいか消化しきれていない日本風のカウントダウンパーティなのかしら。未成熟な印象が残りつつ、でも、もちろん、これはこれで、友人も楽しんだ。なにより天の星の反転のような地の星の輝きのなかに見る東京の街の光の渦のなかで、新年をつつがなく今年も迎えられたことは、感謝であるし、その後、おきまりのビンゴ大会が行われ、ラッキーなことに新年から、特別賞を獲得できて、今年も良い年になりそうね!と盛り上がることができたことに感謝である。

そういえば、ゆく年の最後に残念なことがあった。

カウントダウンパーティに来る前に、NHKの紅白歌合戦を少し見ていた。少しというのはそれ以上、見るに耐えなかったので、テレビを消してしまったのだけれど、日本の年の瀬の私たちの生活文化として小さな頃から馴染んできた、あの芸能の王道の紅白歌合戦は、もう日本の文化の中には存在しないのだと思った。どなたが演出されたのかは知らないけれど、昔のような演出力と音響の迫力の調整力、そして脚本力は、もはや、存在しないように思えて、悲しかった。職人がいなくなったのだろう。公共の番組で皆様のNHKというけれど、雑駁なそのツクリには、芸能文化ではなく、文化祭のような、単なるお祭りのはしゃぎのみしか見られず、公共放送で?というような品格の無さには、目も耳も覆いたくなった。それだけ、新たに創造されている日本の大衆芸能文化層に、深みが足りていないのだと思う。わーわー意味のないことを騒いでいるだけで、ちっともおもしろくなかった。

気になったことだが、番組司会をみていても、対話が成立していない。脚本の作りの問題にも見受けられたけれど、要は、マイクをもって話をしている人達同士のつながりがきちんと成立していない、てんでバラバラのショーケースで、ただ何でもそこにつめこんだだけのものだ。それが、今の日本文化の集大成ならば、それだけのことである。ともかくは、他者の視点や情動の認知という互換のパーセプションを意識できていない、自己主張だけの薄っぺらなタレント文化に、「皆様の」という公共放送という名目で、その品格を問わず質を問わず、ハイジャックされてかき回されていたという感じが強い、それもまた、今の日本の姿なのであろう。ここにもまた、成熟していない稚拙・幼稚さの寂しさが漂う。海外から見たら、決して評価を受けるショービジネスの品格のレベルにはたどり着いていなかったことだ。

カウントダウンパーティを後にして、麻布十番稲荷神社に初詣にでかけた。穏やかな新年の夜気の寒さのなかで、ぼんぼり提灯のやわらかい光と鳥居の新年飾りのもと、階段に次々並ぶ老若男女集う姿に、それまでとは、まったく異なる安らぎを感じてほっとした。がらがらがら・・っと鈴を鳴らす音、ちゃりんちゃりんとお賽銭が投げられる音、冷え込む空気のなかに息白く熱気ある新年の人々の歓談、くじを引いて吉を喜ぶ声、そのさまざまが溶け合って、お稲荷さんの賑わいも明るく清々しい空気感に包まれる。

スイスの友人に、神前の二礼二拍手一礼のふるまいを伝え、皆で神妙に新年の感謝を捧げた後に、麻布十番稲荷の守護を司るかえるさんに金箔を貼るしきたりにチャレンジしてもらった。喜んでくれた友人と別れた後、一人で、十番稲荷様の神前で、新年祈祷を受けた。この神社の上の土地に私たちのMajestyがあることと、少々所以とご縁あって神主さんにもたいへんよくしていただいている。新年の祝詞もたいへん奥ゆかしくこころをこめて丁重にあげてくださるもので、涙がこぼれる思いがした。

新春のお土産パックを頂戴したが、まあなんという充実ぶり。
初穂料など関係なく、おこころ配りいただくという麻布十番稲荷様の御心をありがたく頂戴し、本年の寿ぎを家族や縁者に分ちあえることに深く感謝して新年の眠りについた。

こちらにも宝船図が用意されていて、麻布十番稲荷様のそれは、下のカラー印刷。上が昨日の永坂更科の年越しそばのモノクロ宝船。

宝船には、七福神など中国大陸外来文化も潜んでいるが、それを、このような丁寧に手を尽くして版画仕上げにしてゆくという繊細さは、日本独自の大衆文化であったはずだ。庶民の幸せを祈る意匠として、とてもポップではないかしら。それは、人が生きてゆくということになかに連綿と息づくプリンシパルー人がよりよくありたいと願う信仰の原理があるからなのだと、心安らかにもどる元旦。祈りのなかにあるような、そのようなもの・ことに触れて、不易のものの人の心の安らぎの価値と意義に、誠実に、今年は焦点を定めて進んでゆくとしよう。