◯春が来る。
私たちの起居するMAJESTYの外は
「六本木」というわけで
鳥居坂から一本入ったところに
六本の欅(ケヤキ)の木々が風にそよぐように枝を張り
そのまわりに四季折々の花が咲く。

今の季節は椿と梅。
とりわけ灯籠の脇の白梅の古木は趣きがある。

ここはもとは江戸時代からお屋敷街だったらしく
この白梅の向かいには小道をはさんで紅梅が咲く。
その昔、この紅白の間に月見台があって
その台に立って真東の方向をのぞむと
美しい満月がそこから昇ってきたものだと
かつてMAJESTYのオーナーが語ってくださったものだ。
その梅の古木も古くは江戸から伝わるものだそうな。
その真偽のほどは明らかではないけれど
その漆黒の尖り細みを極めた枯れた枝に咲く
夜の華麗な白い梅の花の香と姿の風情には
なぜか平安から安土桃山とともに江戸風情と
隔世のいずれの情緒をも彷彿とさせるから不思議だ。
それはまるで
宵闇のなかに一献の名酒に酔えば出会うような
神妙なる白い衣をまとった梅の精が宿る
能舞台に舞う白拍子の連想が漂うような。
いにしえの風情をいまは遠くに想像するしかないけれど
その場に立って東の空をのぞめば
今はほんわりとした灯明のようなあかりを
天空にともす東京タワーがそこにそびえる。
そして、その懐の脇から
曙が、月が、星が、昇ってくる。
夜の静謐な闇にそこだけ白く浮かびただよう香梅、
朝露に濡れるた木々の枝のたまゆらの輝き、
葉隠れにたわむれさえずるつがいの小鳥たち、
トワイライトの静寂(しじま)に天空のオリオンの輝き。
このあたりには局所的に
花鳥風月宇宙の断片(フラグメント)が
確かに散りばめられていると
この永年のたたずまいのなかに確信している。
宇は空間。
宙は時間。
この宇宙観が好きだ。
そこに接すれば
いつでも縦横に時空を超えて
イマジネーション(想造力)は羽ばたく。
ところで、その梅の古木の様子、今年はどうも風情が異なる。
花づきに勢いが足りないように思い
永年この地を共にするリサと白梅を見上げて話す。
「ねえ、ちょっと今年の梅は例年とちがわない?」
「うん、ちょっと元気がないね。」
「今年は雪もたくさん降って寒かったからかしら?」
「もうおばあちゃんだもん、うめさん。」
「え?」
「うめさん。長生きおばあちゃんのうめさん。」


あえなくリサのうめさん発言により、
それまで毎年、江戸の武家屋敷の庭に由緒を求め
その古木風情に白拍子の幻惑の美しさを重ねて居た
その想像力はがらりと一転し
うめさんの「う」に
頭高のプロナウンシエーションがかかった
親しみあるうめさんという老木風情に。
確かにこの古木、幾年月を重ねて何を見て
風雨にさらされてきたのだろう?
その他にはない枯れ風情の美しさの姿の後ろに
重ねられているはずの妙を思うほどに胸に迫るものがある。
そのかくしゃくとした枝ぶりをどうかさらに逞しく
その馥郁たる香りをどうかさらに深奥清々にと
なぜか強く揺さぶられる共感をもって
心底願いが湧いてきた。うめさん、どうぞ長寿万歳。
実は私も本日誕生日。
バースデイカード、お花、ダッキーグッズなど
愛する方々からたくさん頂戴しました、しあわせものです。
ほんとうにありがとうございます。
昨年、この日のあるひとときに突然にわかに空から雪が舞った。
本年、実は本日も夕刻に小雪が舞ったと先ほど人に聞かされた。
これもまた目に見えないものからの祝福のように思えてうれしい。
そういえば中谷宇吉郎という科学者は、
雪は『天から送られた手紙』だと言って
ひとひら・ひとひらの美しい結晶を見せる冬の華には
どれひとつとして同じ姿がないことの自然の神秘を
明かされた。
「自然のいろいろな物質、そのものの深い奥底に
かくされた造化(ぞうか)の秘密には、不思議さと
同時に美しさがある。そしてその不思議さと美しさに
おどろく心は、単に科学の芽生えばかりではなく、
また人間性の芽生えでもある。」
うめさんの造化には
歳重ねるほどに人間性の芽生えを思い
私のこれからの造化にも同様に
歳重ねるほどの人間性の芽生えをのぞみたい。
新たな人生の節目のレゾリューション。
遠く西の空をのぞめば
此花咲耶姫に古来からたとえられる
凛と優美な富士山が瑞雲とともに姿をみせている。
人は富士に
大地に根ざす優美で可憐な日本の女神の姿をうつした。
そのいただきの白い雪も、はや、うっすらと春風情。
そして視点を頭上に、空を仰げば
もうすぐ梅から桜に。
蕾のふくらみが、もうこんなにも豊かに
春を含んでいる。

桜にはなぜかういういしい響きを思う。
春の華やぎからの連想だからかしらん。
うめさんには老齢の。
さくらさんには新入の。
ふじさんには万年の。
それぞれの人の姿を思う春。
今年の春も、もう間もなく。
おだやかに、やわらかく、つつがなく、たおやかに。