『資本主義はなぜ自壊したのか』を著された
中谷巌先生のお話を伺う。
先生は細川内閣、小渕内閣で経済改革の旗振りを担われた方で
私個人的には1994年にある勉強会で
先生とご一緒させていただいたことがあり
中谷先生のような方が常に向学心を失わずに
その時々の環境変化を読み解いていらっしゃるお姿に
心底学ばせていただいたものだ。
今年明けて先生が2009.1.17の週間東洋経済で
そのご著書について「自戒の念を込めて書いた『懺悔の書』」と称し
現在の日本の混迷を痛観されている記事を読んでいたので
この時機にこそようやく聞こえて来た中谷先生の
重い一言一言に集中した。
先生は短絡的であったり軽薄なものの考え方に
痛切な警鐘を鳴らしていらっしゃる。
新自由主義的な、市場至上主義的な、あるいは
改革派の急先鋒的な行動に対して
それは浅はかであり、社会全体、あるいは
人間の幸せとはと、考慮すべきだったと振り返られる。
新自由主義で小さい政府や自己責任をただ求めれば
日本社会がうまくいく、さらに経済成長がうまくでき
国際競争力もつく、そういう考え方が間違いだと指摘され
もっともまずかったことは
とにかく個人が分断されること。
人は合理性の世界の経済学だけで
政策や社会を論じ描いていいものなのか。
人間はそんな合理的な存在ではない。
ロジックだけでは抜け落ちるところがあまりに多い。
分断された個人はマーケットで出会う。
マーケットは得か損かの世界だから
人間的なつながりはない。
そのマーケットで失敗すれば
投票行動を通じて国家に向けて発言するようになる。
あるのは国家とマーケットだけの世界。
それでは社会がすさみ
本質的な社会価値が見失われてしまう。
人間にとって必要なのは
その間にある社会
あるいはコミュニケーションではないか。
そこで温かい人間的なつながりを確認しながら
人は孤独に陥らず
喜んだり悲しんだりしながら
幸せをつかむ。
新自由主義的発想は社会的動物である人間を
全然考慮していないと中谷先生は指摘され
小泉内閣以降日本も貧困大国になってきたことを
明示されるのだった。
現在貧困率は日本は米国に続く
世界第二位なのだとされる。
ではなぜ日本はだめになったのか?
日本の会社が日本人の心の拠りどころだった時代がある。
戦後日本人は企業至上主義でやってきた。
日本人一人一人が勤勉に当事者意識をもって勤労に努めた時代。
当事者意識をもっていたゆえに平等だった。
欧米の階級社会と異なり
社会が会社組織が労働者の力をひきだして
企業組織に向けての一体感を創り出していた時代のことだ。
社会や組織がそのように
人に労働者としての高いコミットメントを引き出す事に
成功したからこそ
日本は世界第二位の経済大国にまでなれたのだと
中谷先生は強調された。
しかしながら現代日本の組織は
コスト削減という合理の下に
雇用の形態を明らかにシフトさせてしまった。
組織が終身雇用の責任を追わない
契約社員・派遣社員を組織内に交えたことにより
組織の一体化と組織構成員の組織へのコミットメントは
明白に途絶えたと中谷先生は指摘される。
数字の合理が
人の心を分断してしまった。
経営の都合が
組織一体の協調を裁断してしまった。
では日本はまた
よき時代の根本精神と行動に立ち戻ることが
できるのだろうか?
そこに先生は
心の拠り所を私たちがもてる何かを発見すること
そしてその拠り所をバネに私たちの再生を図ることを
示唆されているようだった。
時間が尽きてそれ以上のお話は伺えなかったが
概してその心の拠り所を以下に求めるように
私自身は学んだように振り返る。
1.キャッシュフローという実体経済による資金調達ーカネ
2.長期的に俯瞰し育まれる雇用形態ーヒト
3.日本の高い美意識による文化価値あるものづくりーモノ
4.歴史,哲学、文明論、宗教等いわばリベラルアーツを
中心にした私たちの再学習ー情報
5.おもてなしの心や誠実なコミュニケーションー時間空間
そのような経営資源がそのままに
人の生計資源となる時代創造こそが
私たちの安心・安全の社会契約の拠り所となればいい。
不安や不信が積み重なる現代社会を再構築すべきは
丁寧に愚直に思いやりをもって
商品やサービスをよく見つめて
社会の関係性
つまりは資源共有のコミュニケーションを
組み立て直すということ。
リストラは必ずそれまでよりも
尚一層の幸福なる再構築が約束されなくては
ならないことに想い至る。
そのような智恵と工夫が必要だ。
それは単なる絵空事だろうか?
いえ、そうは思わない。
なぜなら人の意識という相対的なる能力は
その内なる未知の認知の可能性により
幾らでもひとつのものを多様な価値創造に変えてゆく力を
付与されて持てるはずのものだから。
一つのことをどのよう認知認識するかという
一つのリソースを肯定的かつ可能性に満ちて読み解く力
そのマインドイノベーションこそが次世代の力を拓くことに
つながるはずだと考え続けている。
先生は「人を介して伝わるもの」を重視されて
講話を結ばれた。
海外にゆくと「日本はすばらしい」という
日本賞賛論が圧倒的であるということを
中谷先生はお話されたが
それは思えば長い時間をかけて
先人が積み上げて来たことであること。
いますぐに叶うことではない
長い時間をかけて丁寧に積み上げてゆく
編み上げてゆくべき経緯がある。
織物には経糸(たていと)緯糸(よこいと)がある。
その一本通った経糸こそが経済を成し
経世済民という
つつがなく私たち一人一人への
生きる営みの実りを与えてくれることになるのだろう。
私たちは今その価値を再度対話を通じて知り合い
日本の文化遺伝子の在り所に触れて
心の拠り所とする学びを深めなくてはならないのだと
あらためて切に実感する好機となった。
今日は旧暦の大晦日。
明日は早朝から伊勢内宮に参詣し
新月の朔日に禊ぎ
神楽を通じて新年の実りの祈願を行ないたい。
2013年の神宮式年遷宮に向けて
宇治橋の架け替えが今年行なわれる。
今はちょうど宇治橋と仮橋の二つの橋が架かる
特別な期間。
平成元年11月に渡始式が行なわれたこの宇治橋も
本年2月1日までの使用となり
3月には解体され地元の昔からの船大工技法によって
橋の美しい反りに添って厚さ15cmもの
ヒノキ板が敷かれてゆく架け替えがはじまる。
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昨年6月20日に詣でた際の一連の写真。
内宮ではいつも曇天の中に光があふれている。
お社の上に光の柱がいつも注ぎ立つ。
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日本の心のおおもとに依り御垣内にて
その清々しい精神の庭に降臨する
なにごとかの気配にも
今年の経糸を確かに占いたいと願う。
それはとりもなおさず
自らの内なる声への傾聴であり
それは自己を超えた大自然とのひとつながりによる
懐かしい記憶の再生になることなのだと信じている。