Monday, January 26, 2009

◎Make up・Wake up

あるプロジェクトの長期計画について
このところ思考を幾度も幾度も繰り返していた。

ゴールに何を置くか。

手元の真っ白な紙の上に条件を挙げて視る。

1.関わる人皆が幸せになること。
2.関わる人皆が美しくあること。
3.未来への継承価値があるものとなること。
4.そのために持続可能なシステムであること。
5.そのために資源が常に生み出されること。
6.そのために関わる人皆が丁寧に正しい行動をできること。

そのように未来を導くための
ルール・ツール・ロールを考えてみる。

ルールは約束ー経営理念
ツールは道具ー経営資源
ロールは役割ー経営方法

最初に
資源をキャッシュフローと付置してみたのだけれど
ふっと考えた。

キャッシュというと現金。
現金よりもより価値のある上位概念として
資源とおいた。

キャッシュカウ CASH COW という言葉がある。

一回それを購入したら
ずっとお金を生み出しつづけてくれるもの。

例えば
その名の通り『牛』。
一度購入すれば牛くんは牛乳を生み続けてくれる。

例えば
その仲間の『鶏』。
一度購入すれば鶏さんは卵を生み続けてくれる。

例えば
その仲間の『人間』。
一度仲間に入れば人間くんもいろいろ生み続けてくれる。
そのような常に学習し続けて運動し続ける共同体となればいい。

でも時に人間は働かなくなることがある。

ではいつでも働き続けてくれるものは?と考えて
資源と置いた。

例えば
人間が生み出すソフトウエアとしての『映画』。

例えば
人間が耕して豊饒の恵みを享ける田畑林としての『土地』。

永代に価値あるものを生み出すことの真義を
私たちは今回の金融恐慌の中で実体経済の価値をあらためて学び
あらためて謙虚に考え
あらためて日々の仕事に
丁寧に向かうことを約束できるものとなるのだろう。

危機を機会として嬉々とした時機となす。

そのような精神力を鍛えた者同士が集えば
大きな力になるだろう。

作り上げる。
そのことを考え抜き
考え抜いたら
丁寧に行動しつづける。

作り上げたときに
目醒めるものが必ずある。
そのようなものづくり・ひとづくりに向かいたい。


例え風雪厳しくとも
山の頂きの晴れ渡る青い空を信じて
一歩一歩を着実に昇りたい。

伊勢に向かう新幹線から。

そしてこのたびの伊勢の写真の数々から。
節分・立春を前に
福を願う人々の祈りが作り上げる数々。








ご縁とご守護を祈る。





伊勢の赤福の看板も健在でほんとうに嬉しい。
一人一人の店員の方たちの丁寧な心ある対応にこのたびも心打たれた。
Orbも共にある。



伊勢内宮。
ご正宮へ向かうための宇治橋の鳥居前にて。
瞬時のシャッター速度のうちに
このOrbの動きは何を意味するのだろう?

旧暦朔日新春に
いよいよじっくり重ねて来た思考を加速させ
無常迅速に運びなさいと教わる伊勢おかげまいり。

Sunday, January 25, 2009

◎Sunshine・Moonlight

旧暦の元旦。
天空は新月。

伊勢の朝はどこまでも青く澄み渡り清々しかった。
宇治橋には霜が真っ白に降りていて
聖域へ渡り行く架橋を進むうちに
だんだんに身も心も
しんしんと凍みる空気に透かされてゆく。

伊勢の森にはところどころに黄金色の光が宿り神々しかった。
内宮の御垣内参りを行なうと
東の空に昇る太陽の虹色の光彩があまねく360度に放たれて
だんだんに身も心も
さんさんと注ぐ光に満たされてゆく。

太陽の光は生産のおおもとであること。
殖産の動の気の力を与えたまう。
対する
月の光は精神のおおもとであること。
思考の静の気の力を与えたまう。

伊勢の夜はどの家も団欒に鎮まり和々しかった。
おかげ横町にはただ外灯のぼんぼりあかりが点り
人影のないと静寂を進むうちに
だんだんに身も心も
えんえんと深い闇に融かされてゆく。

光がもたらす
私たちの生産活動と精神活動への恵みは
闇がもたらす
私たちの胎内回帰と自然回帰への恵みとなることを
あらためて伊勢の地場の磁力に学ぶ。

アメリカの新政権政策はグリーン・ニューディール政策。

2015年までに100万台のハイブリッド車を走らせ
輸入石油を減らす。
風力や太陽光、次世代のバイオ燃料による自然エネルギー電力を
2012年までに10%2025年までに25%を達成させる。
温室効果ガスを2050年までに1990年比で80%削減。
この政策により500万人の雇用を生む公約を通じ
オバマ新大統領の就任によってアメリカはいよいよ真剣に
日々着手をはじめた。

クリントン政権時代のITバブル
ブッシュ政権時代の住宅バブルを経て
経済の空洞化という危機が
アメリカの大国の未来の可能性を
あるべき環境問題への取組みへと
これまでと対極的な大きな方向転換への
舵取りに向かっていることを考える。

日本の産業界は1970年代のオイルショックを機に
生産活動においてエネルギー効率を高めること
恒常的に高め続けることが生き残るために不可欠だと
既に認識され取組みがなされてきている。
本気で省エネに取組んだ時代
銀座の街のカラフルな電気広告塔の電気が消されていったことは
子供心にもセンセーショナルに焼き付いている。

「もっと少ないエネルギー資源で
 同じだけのものをつくれないだろうか」
「明日はもっといいものをもっと速くつくろう」
「もっと効率のいい方法はないだろうか」
「もっとムダをなくすにはどうしたらいいのだろうか」
「もっといいアイデアはないだろうか・・・」

日々のささやかな改善発想のなかには
それまでになかったあらたな革新
イノベーションの萌芽を見出すことができる。
生産活動においては
そこに従事する構成メンバーが
このマインドセットを共有できることによって生み出す
あらたな生産性。

資源の枯渇に直面すると
世界はそれまでにない革新ーイノベーションを必要とすることを
チャンスとすれば
それまでに見えなかったものへのまなざしが研がれてゆく。

それは少数の天才によって創造されるものではなく
省エネに始まる日々の改善のマインドセット
習慣的な心のあり方・ものごとに臨む態度姿勢を抱く
組織や社会が生まれゆくことによって
一歩一歩着実に実現されてゆくものだ。

あらたな投資価値をグリーン・ニューディール政策に
読み取ろうとする場合
過去の考え方に戻らない
その本質的な意識改革ーマインドイノベーションについて
このたびはいずれ大いに注目され論じられることになるだろう。

余計なもの余剰なものをはらい
美しく清々と清まる内宮お膝元のおかげ横町が
そこに存在しているのは
この地をうまし国と呼びこの五十鈴川のほとりに
天照大御神を鎮座させたもうた倭姫の存在が
ご遷宮というメカニズムで
大自然から享受する恵みと共にある
持続可能な完全自給システムを今に継承させているということ。

20年に一度
忘却してはならない匠の技と理念が
親から子へ
子から孫へと連綿と続く
ご遷宮という習慣装置化によって
今も感動と共に
神様への奉仕として継承される。

そこには
古材をなにひとつとして無駄にすることのない
そして伐採した木々には
またそこに次世代に続く植栽が営まれる。
自然の恵みを受けた資源を生かしきる
リデュース
リユース
リサイクルが
完全に成立している深い智恵がある。

そしてそれに倣い
おかげまいりという庶民文化を熱狂させた
江戸時代の生活の理念や互助の智恵が
地場の企業や生活者の日々の美しい生活習慣と共に
ありありと確かに今に継承されようとしてある。

日が昇り日が沈む。
心を高揚させ心を鎮静させる。
五十鈴川の流れの日本の清水は美しく澄み
鳥や草花が棲む。

自然の循環に応じた日々の心がけを
その地にあらたに思い興し気持ちが引き締まる
旧暦正月朔日。

思えば東京中央の官庁街永田町に隣接して在る
日枝神社の森も
江戸からの祈りの習慣を今に文化継承している。
夜の静寂は都会の中央にあって
不思議なほどに別世界のように鎮まる。

その日枝神社の夏祭りの夜に。




そこにあって意識すれば訪れるもの。

Amazonからオーダーしていた『逝きし世の面影』が届いた。
西洋の眼がとらえた日本の江戸時代の誇るべき美徳に触れ学びたい。

◎Structure・Restructure

『資本主義はなぜ自壊したのか』を著された
中谷巌先生のお話を伺う。

先生は細川内閣、小渕内閣で経済改革の旗振りを担われた方で
私個人的には1994年にある勉強会で
先生とご一緒させていただいたことがあり
中谷先生のような方が常に向学心を失わずに
その時々の環境変化を読み解いていらっしゃるお姿に
心底学ばせていただいたものだ。

今年明けて先生が2009.1.17の週間東洋経済で
そのご著書について「自戒の念を込めて書いた『懺悔の書』」と称し
現在の日本の混迷を痛観されている記事を読んでいたので
この時機にこそようやく聞こえて来た中谷先生の
重い一言一言に集中した。

先生は短絡的であったり軽薄なものの考え方に
痛切な警鐘を鳴らしていらっしゃる。
新自由主義的な、市場至上主義的な、あるいは
改革派の急先鋒的な行動に対して
それは浅はかであり、社会全体、あるいは
人間の幸せとはと、考慮すべきだったと振り返られる。

新自由主義で小さい政府や自己責任をただ求めれば
日本社会がうまくいく、さらに経済成長がうまくでき
国際競争力もつく、そういう考え方が間違いだと指摘され
もっともまずかったことは
とにかく個人が分断されること。

人は合理性の世界の経済学だけで
政策や社会を論じ描いていいものなのか。
人間はそんな合理的な存在ではない。
ロジックだけでは抜け落ちるところがあまりに多い。

分断された個人はマーケットで出会う。
マーケットは得か損かの世界だから
人間的なつながりはない。
そのマーケットで失敗すれば
投票行動を通じて国家に向けて発言するようになる。

あるのは国家とマーケットだけの世界。
それでは社会がすさみ
本質的な社会価値が見失われてしまう。

人間にとって必要なのは
その間にある社会
あるいはコミュニケーションではないか。
そこで温かい人間的なつながりを確認しながら
人は孤独に陥らず
喜んだり悲しんだりしながら
幸せをつかむ。

新自由主義的発想は社会的動物である人間を
全然考慮していないと中谷先生は指摘され
小泉内閣以降日本も貧困大国になってきたことを
明示されるのだった。

現在貧困率は日本は米国に続く
世界第二位なのだとされる。

ではなぜ日本はだめになったのか?

日本の会社が日本人の心の拠りどころだった時代がある。

戦後日本人は企業至上主義でやってきた。
日本人一人一人が勤勉に当事者意識をもって勤労に努めた時代。
当事者意識をもっていたゆえに平等だった。

欧米の階級社会と異なり
社会が会社組織が労働者の力をひきだして
企業組織に向けての一体感を創り出していた時代のことだ。

社会や組織がそのように
人に労働者としての高いコミットメントを引き出す事に
成功したからこそ
日本は世界第二位の経済大国にまでなれたのだと
中谷先生は強調された。

しかしながら現代日本の組織は
コスト削減という合理の下に
雇用の形態を明らかにシフトさせてしまった。
組織が終身雇用の責任を追わない
契約社員・派遣社員を組織内に交えたことにより
組織の一体化と組織構成員の組織へのコミットメントは
明白に途絶えたと中谷先生は指摘される。

数字の合理が
人の心を分断してしまった。
経営の都合が
組織一体の協調を裁断してしまった。

では日本はまた
よき時代の根本精神と行動に立ち戻ることが
できるのだろうか?

そこに先生は
心の拠り所を私たちがもてる何かを発見すること
そしてその拠り所をバネに私たちの再生を図ることを
示唆されているようだった。

時間が尽きてそれ以上のお話は伺えなかったが
概してその心の拠り所を以下に求めるように
私自身は学んだように振り返る。

1.キャッシュフローという実体経済による資金調達ーカネ
2.長期的に俯瞰し育まれる雇用形態ーヒト
3.日本の高い美意識による文化価値あるものづくりーモノ
4.歴史,哲学、文明論、宗教等いわばリベラルアーツを
  中心にした私たちの再学習ー情報
5.おもてなしの心や誠実なコミュニケーションー時間空間

そのような経営資源がそのままに
人の生計資源となる時代創造こそが
私たちの安心・安全の社会契約の拠り所となればいい。

不安や不信が積み重なる現代社会を再構築すべきは
丁寧に愚直に思いやりをもって
商品やサービスをよく見つめて
社会の関係性
つまりは資源共有のコミュニケーションを
組み立て直すということ。

リストラは必ずそれまでよりも
尚一層の幸福なる再構築が約束されなくては
ならないことに想い至る。
そのような智恵と工夫が必要だ。

それは単なる絵空事だろうか?
いえ、そうは思わない。

なぜなら人の意識という相対的なる能力は
その内なる未知の認知の可能性により
幾らでもひとつのものを多様な価値創造に変えてゆく力を
付与されて持てるはずのものだから。

一つのことをどのよう認知認識するかという
一つのリソースを肯定的かつ可能性に満ちて読み解く力
そのマインドイノベーションこそが次世代の力を拓くことに
つながるはずだと考え続けている。

先生は「人を介して伝わるもの」を重視されて
講話を結ばれた。

海外にゆくと「日本はすばらしい」という
日本賞賛論が圧倒的であるということを
中谷先生はお話されたが
それは思えば長い時間をかけて
先人が積み上げて来たことであること。

いますぐに叶うことではない
長い時間をかけて丁寧に積み上げてゆく
編み上げてゆくべき経緯がある。

織物には経糸(たていと)緯糸(よこいと)がある。
その一本通った経糸こそが経済を成し
経世済民という
つつがなく私たち一人一人への
生きる営みの実りを与えてくれることになるのだろう。

私たちは今その価値を再度対話を通じて知り合い
日本の文化遺伝子の在り所に触れて
心の拠り所とする学びを深めなくてはならないのだと
あらためて切に実感する好機となった。

今日は旧暦の大晦日。
明日は早朝から伊勢内宮に参詣し
新月の朔日に禊ぎ
神楽を通じて新年の実りの祈願を行ないたい。

2013年の神宮式年遷宮に向けて
宇治橋の架け替えが今年行なわれる。
今はちょうど宇治橋と仮橋の二つの橋が架かる
特別な期間。
平成元年11月に渡始式が行なわれたこの宇治橋も
本年2月1日までの使用となり
3月には解体され地元の昔からの船大工技法によって
橋の美しい反りに添って厚さ15cmもの
ヒノキ板が敷かれてゆく架け替えがはじまる。


昨年6月20日に詣でた際の一連の写真。
内宮ではいつも曇天の中に光があふれている。
お社の上に光の柱がいつも注ぎ立つ。

















日本の心のおおもとに依り御垣内にて
その清々しい精神の庭に降臨する
なにごとかの気配にも
今年の経糸を確かに占いたいと願う。

それはとりもなおさず
自らの内なる声への傾聴であり
それは自己を超えた大自然とのひとつながりによる
懐かしい記憶の再生になることなのだと信じている。