◯1943年のラッキーペニー。
仕事合間に黄金週間モード。
宿題がいっぱいあってMacに向かっていても
外の陽気にさそわれて朝日が照らす緑の光のなかを
いそいそてくてく麻布十番稲荷まで散歩にでかけたり
NHKの朝のラジオ体操をゆるゆるしみじみはじめてみたり
朝市で見つけた新鮮野菜のスウィートバジルとイタリアンパセリを
さくさくぱりぱりかじってみたりと
やっぱりゴールデンウィークである。
そうしていると体内世界時計が巡りだす。
遠く東にダイヤモンドヘッドをのぞみ千鳥の小さな足跡がそこここに
昇る朝日がひんやりとした白い砂をあたためてゆくワイキキの浜辺。
広がる水田を眼下にのぞむツインピークスのレイラインから
緑の峡谷に幾筋もの白い滝と虹の輝きのぞむプリンスヴィルの入江。
アリゾナの青い空に容姿を伸ばすサワロ・カクタスの群れを抜けて
ローウェル火星天文台を目指す途中に静謐にセドナの赤い岩の群景。
色とりどりの花がゆれて咲くオレンジカウンティまでのマリーナ
カラフルなカイトがくるくる回りウィンドウチャイム揺らす南風。
月と太陽が重なるその深い闇に一点の星の輝きをフレアの中に見つめ
鏡面の静止時空に息をひそめたべネズエラパラグアナ半島の蒼い海。
雪が舞う真夜中の天頂に北極星がこんなにも近く北斗七星がめぐり
宙に弧と波と渦を描いて天空を駆けめぐるラップランドのオーロラ。
いまここにいてもスピリットはそのときあのときに飛翔する。
ひそやかな時空間旅行。
サンフランシスコのノバトという街にはPenneyという友人がいる。
知り合ったのはもう12年も前のこと。
ぶどう畑が広がるノースカリフォルニアのワイナリータウン手前の
羊や牛が放牧されているやわらかな緑の丘陵地帯に隣り合わせの
のどかな街に住む。
Penneyの仕事はインテュイティブコンサルタント。
世界中55カ国で『Intuitive Way』という著書が発売された。
日本では『直感への道』というタイトルだった。
なにしろ直感が利くのである。
千里眼といわれるが、向かい合うクライアントの近未来を
かなりの正解率でポジティブに言い当てる。
クライアントしか知らない過去も
クライアントも知らない未来も
Penneyにはあるホログラフィックな映像で見えてくるのだと言う。
来日する際のスポンサーを引き受けることになって10数年
さまざまなクライアントと私自身も接触して
その鋭敏な直感力によって道を拓いた人たちとも多く出会う
ことになった。なにしろリピーターが多いのである。
でも、おかしくも不思議なことに、Penneyはある意識の
フィールドに入らないとその直感モードに入らない。
『統一された意識の場』と呼ぶディメンションがあるらしく
直感モードに入るときは、そこにアクセスしているという。
日頃はごく普通の一般女性なのであって
Penney自身も恋愛に悩み
少しでも安い買い物をすることを喜びとし
タレントのだれそれがかっこいいとか
どこそこの美味しいレストランが話題だとか
ほんとうにたわいもないことをフランクに話す。
その直感メカニズムには私自身、とても興味がある。
実は今の仕事の中核も、この正しい直感力無くしては、到底
よりよい生々発展に関わることが叶わないと実感している。
このモードの使い方が、実はよりよい高業績マネジメントに
つながってゆくような直感がしていて、現在仮説検証中。
今の仕事が少し落ち着いたなら、そのようなメカニズムを
きちんとまとめて何かのお役立てになれば幸いである。
さて、そのPenneyが、知り合ってすぐの頃、自己紹介をかねて
『Lucky Penny』の話しをしてくれたことがある。
「Pennyを拾うと幸運がやってくるって言われているのよ。」
Pennyは、アメリカの1セント硬貨のことだ。
「まあそう!私は、日本でよく一円玉を拾うことがあるわ!」
そのような話しをした記憶がある。
人もそのようによく気づくのだろうと思うのだけれど、
道ばたにはよく一円玉が落ちていることがある。
子供の頃から、よく気づいて拾うことがある。
一円玉の見え方によって貧しい人とお金持ちの人とがわかると
小学生の頃に教わったことがあって、貧しい人には一円玉は
大きく価値あるものに見えるけれど、お金持ちの人には一円玉は
小さくそれほども気にならないものに見えるものだと言われた。
でもそのときおかしいなあと小さな頃の私が感じたことを
いまでも覚えている。なんとなく腑に落ちなかったのは
一円玉が豊かに思える人の方が心が豊かで
一円玉が豊かに思えない人の心は何だか貧しいような
そのような気がしてしまったのである。
そしていまだに私の目には一円玉は大きく見える人生のようで
道端に落ちていたりすると、ついついすぐに見つけてしまう。
それは、近くのコンビニエンスストアを探して募金箱に
入れるようにしている。自分のお財布に入れるのは
何となく違うことのような気がするものだ。
さてPenneyからそのような『Lucky Penny』の話を聞いてから
実は海外にゆくと
よくよくPenny硬貨を拾ってしまうようになった。
ほんとうによく落ちているものだ。
拾うPennyそれぞれに
さまざまな年代とさまざまな表情があって興味深い。
そのようなPenny硬貨は
何だか目に見えない神様からの啓示のように受け止めて
ある箱に入れて大切にしている。
募金などの慈善活動は別で行うことにして
与えていただく偶然の幸運の慈善はいつしか
ありがたく受けることにしたのである。
カウアイでは満月の夜にふっと足下に3枚のPenny硬貨が落ちていて
それはプリンスヴィルのマーケットの駐車場だったから
昼間お買い物をしていた人がきっとお財布からコインを
ばらばらこぼしてしまったのだろうと想像がついたけれど
Lucky×3ということで月明かりの中でうれしくいただいてきた。
その1枚はその頃大切だった人に差し上げたが
あとの2枚はまだ大切にとってある。
そしてどう考えても今もって不思議な『Lucky Penny』がある。
ある日手にしたとても大切にしているPennyのことである。
それは成田空港で帰国の際に税関を通った直後のことだった。
確かサンフランシスコから戻ってきたときだったと思う。
仕事疲れでぼーっとしながら歩いていると、目の前の2人連れの
青年達のポケットのボタンが落ちて、コロコロンとフロアーに
転がったようだった。あっと思ってそれを拾って声をかけようと
したら、彼らの姿が、もう無い。背の高い欧米系の人たちだった
印象は残っているのだけれど、バックパッカーのようで、あまり
荷物はもっていなかった。大急ぎで追いかけて探したのだけれど
もうどこにも彼らの姿が無いので、仕方なく立ち止まった。
そして、右手になぜか固く握りしめていた小さなボタンを
指をゆるめて手を開いて見てみた。
直径1cmほどの小さなボタンと思っていたそれは
実はいつも知っているPenny硬貨とは異なる材質の
不思議な1セントコインだった。
そのままよくよく見ると1943年と刻んである。
エイブラハム・リンカーンさんの横顔も表情が異なる。
あたまのなかがぐるぐるした。
このPennyはどこでどのようにこれまで流通してきたのだろう?
なぜこの手の中にこのPennyがおさまっているのだろう?
このPennyを転がした彼らの姿はどこに行ってしまったのだろう?
そのPennyをずっと右手に握りしめたまま
いつものように湾岸高速道路を運転して東京に戻る途中
わあーっと涙があふれてきて内側から何かがこみあげてきた。
車の中に一人だったから思い切り声をあげて泣いてしまった。
ステレオから流れていた澄み渡って生命力あふれるアディエマスの
歌声に触発されたのかもしれない。
第2次世界大戦に人類が踏み込まなくてはならなくなった頃の
人々の思いと姿が何故か思い浮かんでしまったのである。
1945年の終戦までの道程をこのPennyはどこでなにを見つめて
きただろう?
このPennyがアメリカで生まれた年、
アメリカではロスアラモス原子力研究所が開設。
日本では学徒出陣がきまり日本の平均寿命は男性23、9歳。
女性は37.5歳。
戦後の高度成長期に生まれた私たちはすでに戦争を知らない。
当時の人たちよりもずっと長く生命の営みを安穏のうちに日々紡ぐ。
この時代にあって豊かな幸福を享受できる私たちのDNAの内には
それでも祖先からの歴史を経て、喜びも悲しみも多くの記憶を
刻んでいるはずだとも思う。
あらためて不思議なPennyを並べてみた。
先日、これもまた何だか妙なことなのだけれど
MAJESTYのワークルームのフロアにPennyが落ちていて拾ったのだ。
それもぴかぴかの2006年メイドである。
このLucky Pennyもいったいどこから来たのかしらん?


それにしても、あの成田空港の2人の青年のことである。
なんだか風貌がヴィム・ベンダース監督の『ベルリン天使の詩』を
彷彿とさせていたものだったように思い出されるのはなぜだろう?
映画の中の天使たちは
天から堕ちた人間界で、ある思いと感情を得てから
世界がモノクロからいのち溢れる天然色になるのだった。
大好きな映画だ。
ふっと書棚の『情報の歴史』を手にして
1943年の事象をひもといた。
サン・テグジュペリの『星の王子さま』が書かれた年でもあった。
そういえばあの時の旅は
行きがけに『星の王子さま』の単行本を手にして
S F 行きの飛行機に乗ったのではなかったかしら?
ほんとうにたいせつなものは
こころの目で見なくては見えないんだよ。
そう語る本を片手に旅立ち
そうして
見えないものからの1943年の『Lucky Penny』を
もう片方の手にしたあの日。
いまの幸福を思う今年の黄金週間も、残すところあと2日。
いまはまだ目に見えない宿題も
どうか無事目に見えて終わりますように。