リサと一緒に
八ヶ岳の森までクリスマスツリーを戻しにゆく土曜日。
恒例となって、もう何年になるだろう。
毎年クリスマスシーズンになると
アメリカのシアトルからクリスマスツリーの生木が届く。
オーロラという名前のクリスマスツリーファームの札がついている
リサのパパサンタからの贈り物。
リサが生まれた街のそばの森で育った木々から
リサパパとリサママが今年はこの木と選んでくださる。
ある年は天井にぶつかってしまうほどの大木で
そのてっぺんを切らないと部屋にはいりきらない騒動もあったが
昨年は小振りのかわいらしいサイズに落ち着いたものだった。

車のバックシートに大きな袋ふたつ積んで中央高速を行く。
毎年クリスマスツリーは
お正月を過ぎてそろそろお仕舞いの時機が来ると
その木の幹や枝や葉を細かく刻みさらさらチップにして
アメリカの森の精霊たちをいきづかせ
日本の森の精霊が宿る八ヶ岳の大地に放つことにしている。
そこに雪が降り雨が注ぎ時を経て
やがて土に溶け込んで彼らは還ってゆくだろう。
地球の大地は連綿とつながっている。
車の中はフィトンチッドいっぱいにあふれて
私たちは深い森林の香りに包まれる。
時折すーっと深呼吸をする。
「彼らはきっと対話をするよね」
「うん、目をまんまるくして遥か遠くの異国の話に耳を傾けるね」
「ほーっとかへーっとか見たことのない世界に関心を寄せて」
「そのうちお互い気にいって溶け合うよね」
「うん、お互い気があいそうな木を探そうね」
アメリカに生まれ育ち
海を渡ってやってきて
このクリスマスシーズンに体験したこと見聞したこと
これまでのライフストーリーを
放たれた森の木々や大地に自慢気に話す
もみの木のアメリカンスピリットに想像をめぐらせて
私たちはいつもちいさな子ども同志のようになる。
「ねえ、アメリカと日本の学校の教育ってほんとうに違うよね」
「うん、違うよね」
「それは、その後の人生や社会の形成に
大きく影響することを思うの」
「うん、たとえば?」
「ね、小さい頃から学校教育でリサ達は
SHOW&TELLっていうのをやったっていってたでしょう?」
「そう、そう、クラスのみんなの前に立って
私のはいている新しいスニーカーの紹介をします、なあんてね
最初は苦手ではずかしくって嫌だったあ」
「何かを見せて語って他者に伝えようとする
前向きなスピリットを耕すよね」
「そう、そう、だからね、
どうやったらみんなに聞いてもらえるか
子供なりにアテンションの取り方を工夫して考えるのね」
「たとえば?」
「声がちいさいとだめとか、
わかりやすくないと聞いてもらえないとか、
ボディーランゲージでアクティブに何か表現しようとか」
「なるほどね、それはいま、日本では社会人教育で
プレゼンテーションプログラムやセールストレーニングって
名付けたプログラム商品になるんだものね、
いかに日本では、そういうことへの取組みが
成長過程で不足だったかと思うな」
「なるほどね」
「だって、声の出し方、発声・発音・調音・滑舌なんて
学校の先生に教えてもらったり自分の姿のよしあしに
気づく機会なんてないものね」
「美江ははっきり話すよね」
「うん、とっても苦労したの。社会人になってからだった。
アナウンサー学校で調音器官の使い方をはじめて習って
TVショッピングの番組の仕事でスタジオのモニターに映る
自分の手の先の表情やものの指し示しの効果にはじめて
気づいて、それから工夫することを知ったんだもの」
「うんうん」
「アメリカは子どものときからチャレンジするのね」
「そう、だから相手の話しもよく聴くようになるの、
自分も苦労するから相手のことにも関心もって考えるし
どうしたらいいかって他の子をよく見るようになるの」
「それはいいなあ、とっても大切ね」
「うん、大切だよね」
「体験的に小さい頃からダイナミックラーニングを重ねて
見る−見られる関係を早くから認知して
相互理解の学習をこども社会のなかから学ぶのね」
「そう、そして、みんなから質問ぜめにあうわけ」
「たとえば?」
「どうして買ったの?どこで買ったの?いくらで買ったの?
何が気にいったの?サイズはいくつ?・・もう、みんな
だまっちゃいないもんね。わいわいがやがや・・
とにかく関心寄せてお互いの考えをやりとりしあって
お互いになじんで溶け合ってゆくのね」
「それは、プレゼンテーションの方法を学習させるのではなく
相互理解を通じたコミュニケーションの方法や
相互尊重を逞しくする生き方や社会性を学ぶということが
子どもの頃から
文化遺伝子として受け継がれてゆくことになるのね」
「うんうん、いろいろな民族がまじりあうディバーシティの
アメリカ社会の教育の知恵だよね、
子どもの頃は肌の色の識別なんて
優先的にしていないんだもの
皆んな同じ子ども仲間なんだよね」
「ああ、それでアメリカの先生たちは子どもたちを見守る
まなざしがあるのね。
自由・平等を約束している社会だから
子どもたちの自由と平等もまた約束しようとするのかなあ
自分自身のよりよい生き方をつかみとりなさいというように
子どもたちが自分たちで考える自主性をあたかかく笑顔で
見守っているイメージがあるものね」
「うん」
「にこにこ優しくどの子どもたちにも平等に接するよね
子どもたちの心の安全基地をちゃんと約束する
大人のまなざしのなかで子ども達を育んでゆく。
同時に、これ以上は違う、という際には
ぴしっと厳しい教師になるっていうような」
「うん、そうだよ、日本では違うの?」
「日本の学校ではね
先生と生徒っていうロールがあるんだと思う、きっと
つまり、先に生きている先生に従うのが生徒っていう
ような上下関係があるように思えるの」
「息苦しいのね」
「そうね、先生の言われることを
黙ってよく聴きなさいって
親からもよく言われたし
そう言われることを守れる子どもが
理想的なおりこうさんで
先生を困らせる質問をしちゃいけないの
言葉を返すことが創造的というよりも
反抗的となってしまう」
「確かにそれだと自分の意見を持てなくなるよね」
「そうそう、言われたことを言われたように
正解が答えられるテストの点数が求められるので
平等はあるけれど、自由や想像が奪われるよね」
「アメリカの学校では
あなたはどのように考えるか?という
お互いを尊重し
その意見に耳を傾けるディベートもするよ」
「そういう授業のチャンスはなかったように思うの。
いまは、もう少しは
新しい教育になっているかもしれないけれど
結局、そういう学習を
社会人になってから用意してゆかなくては
いけなくなっている構造は
ちょっと遅い気がする」
「うん、大学教育でも自律的に考えて学ぶ精神が乏しいと感じるよ」
「ね、最初に何もわからない時には
どうするのがよいのか教えてくれる人が必要だけれど
その型を学ぶことができたら
よりその型を良くするための
型破りの創造性が認められるようにならないとね
それがよりよく生きるための力になるのにね」
「どうして、そうなるの?」
「うーん、どうしてかな
ある種、与えられたことを与えられたように
やり抜く力もひとつの優れた能力だと思うけれど
昔の軍隊教育訓練の影響が
文化遺伝子にまだ残るからかな。
だから、学習っていう学び習うよろこびよりも
勉強っていう強いられて勉めるつらいものになってしまうから
たいへんなことになっちゃうのかもしれない」
「ほんとうだね、それだとついていきたいって思えるような
良い先生に出会えるかどうかで
子どもの人生が左右されちゃうよね」
「だから、学校選びに必死になってお受験が用意されちゃう」
「環境がヒトをつくるよね」
「ほんとうね
楽しく楽々学習意欲が湧いて
その学習意欲が生きる力をかきたててゆくような
生きるための教育が必要なのね」
「うん、自由意志で選べるという
選択の自由が与えられるのがいいよね
そのためには自由意志を表現できる力も必要だよね」
「ああ、だから
タレントが政治家になれてしまうのね」
「え?」
「だって、日本では
大きな声を出して目立ってアテンションをつかむ人は
タレントか政治家だけだものね、
そういう特殊な人たちの
SHOW&TELLが特別な能力になってしまって
何を言っているかということよりも
どう目立って衆目を集めるかにいっちゃう
そういう力をもった人は世襲か型破りのどちらかで
公正に誰のものにもなりにくい社会だから」
「うん」
「双方向で語り合って
コミュニケーションを交えながら産み出される
お互いの理解の深さや高さの重要性よりも
自分がいかに目立って特別になって
他者を批評して肯定よりも否定をつかって
自分がそれ以上にあることをアピールして
社会の優位にのぼってゆくっていうような
その人の欲望のエゴが動機になりやすいよね」
「メディアもね」
「そう、興味をかきたてていかに部数数字に
結びつけるか、視聴数字を高めるかの大きな数字に
躍起になれば、無名よりも有名を起用しようとするし
有名のためには、中身よりも露出を優先しはじめるし
本質や美質が見失われないといいのにね。」
語り合いはじめると
とまらないのが私たち。
出会った15年前からそうだった。
ひとたび話がはじまると
大学で学生さんに
異文化コミュニケーションを教えているリサと
企業の人財開発で社会人と
異文化コミュニケーションに取り組む私は
日米の教育文化の差異や世代文化の差異
企業内文化の差異からヨーロッパ思想をめぐり
プラグマティズムを基調に
現場の知見を重ね合わせて
思考の広がりが止まらなくなる。
一時は、あまりにも朝に夜に話が続くので
お互いの部屋に行き交うのが面倒になって
MAJESTYでルームシェアしていたこともある。
最近は、互いの仕事が慌ただしくなって
ペースがあいにくくなってしまうところとなり
なかなかこうした対話が叶わなかったが
久しぶりに八ヶ岳まで向う数時間
車窓を流れゆく遠く近くの山々の冬景色をともに見晴らし
運転席と助手席と
共に並んで前方を見つめながら
来し方行く末を語り合った。
大学時代の友人の美喜がドイツに嫁いで
しばらくハノーヴァーに暮らしていた頃のことを思い出した。
もう18年ほども前のことだ。
ご主人が世界的に活躍するインダストリアルデザイナーで
クライアントや部下と創造的な仕事の話をするときには
ハノーヴァーの中心にあるマッシュ湖の湖畔を2時間かけて
ゆっくり共に散歩しながらアイディアを産み出すのだと言って
一緒に歩きましょうと誘われた。
ちょうど今ぐらいの時期で
厚いコートを着込んでぐるぐる巻きにマフラーをして
手袋を二枚重ねて目深に帽子をかぶって完全防寒。
2時間散歩を試みたのだけれど
あの時は日本人のひょろり体型の私たちには寒すぎる散歩で
その時に話した内容は
身を硬くして今でもリアルに思い出せる。
「やっぱり、寒いわね」
「うん、とっても寒い」
「やっぱりフリッツさん達は寒さに強いのね」
「うん、体型がちがうものね」
「美江、だいじょうぶ?」
「うん、だめかもしれない、でも、頑張る、歩く」
「今度は、夏にしようね」
「うん、夏だったらいいかもしれない」
「やっぱり、寒いわね」
「うん、とっても寒い」
冬枯れの木々に包まれたとても美しい湖畔だったけれど
氷点下の身をきる冷たい風のなか
湖面の氷の厚みに震えながら
あたたかな家のゴールをめざして必死になって歩き続けた。
それでも2時間の道程を歩きはじめていたのは
そのような創造的対話の様式に
私たちが強い憧れを抱いたからだったのだろう。
今となっては遠い思い出ながら
何かが心の中に芽生えた
人生のあらたな自由選択の出発点だったのかもしれない。
リサとの対話は
寒風吹きすさぶ中
BMWで高速道路をひた走る2時間ではあるけれど
子ども心に戻り
時空を超えることができるのは
もみの木チップの森の香りにつつまれて
共に移動する身体感覚の共有からか
創造的に次なるヴィジョンが得られるチャンスだった。
「ね、昨年のクリスマスに
リサパパサンタのお手伝いしたでしょう」
「ああ、あのサンタアシスタントね、衣装よかったよね」
「そう、リサが買ってきてくれたの」
「だって、サンタドレスがなかったら
ぜったいやらないっていうんだもん、
午前3時にドンキに駆け込んで買ってきたんだったよね」
「ありがとうでした、でね、
子どもたちにサンタはどこから来ると思う?ってきいたら
煙突だけど、このマンションには煙突がないよって
子どもたちが大真面目で言ってたでしょう?」
「そうそう、それでサンタがエレベーターに乗ってきて」
「そうしたら、子どもたち、サンタがリサパパだっていうこと
全然気づかなかったでしょう?」
「そうそう、帰りにエレベーターが5階にとまったの見て
サンタがこのマンションに住んでいたんだって
言ってたでしょう?」
「うん、笑ちゃった」
「でも、それ、真実だよね、
サンタスピリットのリサパパが
そのマンションの5階に住んでいるんだもの、
彼らにとってのサンタはここに住んでいるんだもの」
「そうだね」
「でね、ジングルベルの歌も、
子どもたち、全部唄えたでしょう?
歌詞をスケッチブックに書いておいたけれど
子どもたち、ほとんど見ないで
どんどこ歌っていてすごいと思ったの」
「私たち最初のフレーズで歌えなかったもんね」

「大人になるとついつい大人の視点で良い悪いをきめつけるけど
小さい時って何でもできる可能性をみんな本来の力に秘めて
いると思うのね。」
「うん」
「その子どもたちの力を大人の決めつけで
奪っちゃいけないよね」
「うんうん」
「あのとき、ちょっと内向的な僕がいたでしょう?」
「ああ、じゃんけん大会に参加しなかった
群れから離れてた子?」
「そう、覚えてる?」
「うん」
「でもね、プレゼント渡すときにね、名前呼んだら
うれしそうにやってきてね、お兄ちゃんが病院に
入院していて、今日来れなかったから
お兄ちゃんの分もくださいって言える
お兄ちゃん思いの勇気がある弟くんだったの、
感動して、ついついこれもあれもってあげちゃったんだ」
「へえ、そうなんだ」
「でね、最後にね、リサが皆んなに、ハイポーズ!って
言って盛り上げて記念写真撮ったでしょう?」
「うん、撮った」
「皆んな、それぞれに好きなじゃんけんポーズしてたのよ」
「へえ、ほんと?」
「うん、ピースマークだけじゃないの、グー・チョキ・
パーそれぞれ、それで、あの弟くんもひっそり
写真の仲間にはいっていたのですね」
「へえ」
「だからね、小さい時って、すぐに感化される受容力と
学習力が必ずあるから、受け入れてくれる人や
見守ってくれている人がどこにいるか、自分のなかに
確かめることができることが、絶対にその子どもたちの
力を伸ばすと確信したの」
「うんうん、そうだよね、大人だってそうだよね」
「そうそう、だからね、これから未来に向かってはね
そういう可能性に向う仕事に取組んでゆけたらいいなと思う」
「うん、いいね、大切だよね」
「だからね、SHOW&TELLの取組みってね
もっと真剣に考えてみるべきだと思ったの」
「そうだよね、大切だよね」
「聴いてくれてありがとう」
「こちらこそ、ありがとう」

異質なもの同志がお互いに対話を重ねる契機こそが
互いの差異から知恵を得て
あらたな世界観の想像力と創造力を育む未来。
いつでもあたたかく真摯に対話を重ねてくれる
ソウルメイトとの出会いと存在にありがとうと
クリスマスの思い出とともに心からの感謝を思う。
アメリカ生まれのもみの木くんは
今宵、日本の大地に根をはるもみの木さんに
なにをどのように見せて語って聴かせているのかしら。
一本のもみの木が
広く大きく思考の枝葉をひろげてくれた人生の岐路。