Sunday, October 10, 2010

◎Resort・Reborn-2

10月10日。

暦は『寒露』を過ぎ
昨日からの勢い降り注ぐ秋雨に洗われて
今日はお昼からの晴天のもと虎ノ門金比羅宮の大祭。
苑内の御神楽舞台では紅葉狩の演目披露も賑やかに。

麻布十番商店街も今日は2010・10・10にちなんで
特別催事も人の往来も賑やかに。

超ご多忙のなか
9月30日にお迎えした編集工学研究所の松岡正剛先生に
『言語のイノベーション』と題しお願いしたご講演も賑やかに。




松岡先生は『千夜千冊』における膨大なる知を
そのテーマにそって再編集してくださり
それは優しく見えないものを解き明かして連綿と語ってくださった。

『身ぶりと言葉』 アンドレ・ルロワ=グーラン  第三百八十一夜
にはじまり
『遺された黒板絵』 ルドルフ・シュタイナー  第三十三夜
にむすばれた。

知の鍛錬。心に沁みた。

とりわけシュタイナーの『遺された黒板絵』は私にとって
オフィスの書棚のメインに据えている
生涯最良最愛の一冊であったから喜びでいっぱいになった。

松岡先生ご自身もセミナー終了後に
「いままで話したことのないことを伝えたよ。」と囁かれた。

ありがとうございます。

松岡先生のご講演録を必死にノートしながら
松岡先生のお写真を記録用に撮影し続けて気づいたことがあった。

松岡先生の身体性のことである。
けっして身体の中心がぶれずにお手元のみがふるまわれている。
松岡先生は昔から手の表情が殊のほか豊かでいらっしゃる。
そして身体は微動だになさらない。





松岡先生が『孤客記 背中のない日本』を出版されて
日本が編集力を発揮できないままに
目の前のことに追われてばかりで背筋を失ってしまったと
エコノミスト巻頭言をつづられたのは1995年のことだった。

松岡先生のその背筋の確からしさ
その身振りと言語と活力に近未来の出現を感得させていただいた。



これまでの開催実績と開催予定は以下に一連。

第一回
http://www.academyhills.com/school/detail/tqe2it00000bfvb4.html
第二回
http://www.academyhills.com/school/detail/visionary100510.html
第三回
http://www.academyhills.com/school/detail/visionary100621.html
第四回
http://www.academyhills.com/school/detail/visionary100708.html
第五回
http://www.academyhills.com/school/detail/visionary100804.html
第六回
http://www.academyhills.com/school/detail/visionary100930.html
第七回
http://www.academyhills.com/school/detail/visionary101018.html

その恩恵にこうして触れたならいよいよ覚悟しなくてはならない。
『寒露』の日には六本木アカデミーヒルズでWorld Cafeを開催。
あらたにご参加くださるメンバーもゲストもあって尚一層賑やかに。

松岡先生がお話された千夜千冊からの35冊セレクションを
はじめに一連サマリーさせていただき解説を加えてなぞった。
その後に
『母なるものとは何だと考えますか?』
『父なるものとは何だと考えますか?』というテーマで
ご参加いただいた皆様にダイアログを行っていただいた。

たいへんに興味深い結論を得る。

初回から連続参加してくださっている
ライブラリーメンバーの小城正裕さんが
ご自身のBlogでWorld Cafeおまとめを行ってくださっていて秀逸。

http://kimagure-talker.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/visionary-insti.html

小城さんは
このWorld Cafeの編集性に気づいてくださっている人のお一人で
まさに初回の野中郁次郎先生の実践知を
自らの優れたアクションの力を通じて編まれている。
継続の力に心より敬意を思う。

こちらのBlogに
小城さんのBlogをご紹介させていただいてよろしいかどうか
お尋ねしたら
とってもうれしいメールをいただいた。
少々恥ずかしいが核心を得ていらっしゃるので記させていただく。

『毎回、World Cafe楽しみにしております。
薄羽様のブログは、World Cafeに参加したはじめの頃に
Cafeの案内にあったMC Planningのホームページと一緒に
見させていただきました。
第一印象としては、1つ1つの写真に
私にはないセンスが感じられたことでした。

そして、その頃からCafeのこともブログに書くようにし、
同時にメールでも疑問点などを質問させていただきました。

最近は、松岡正剛氏の本をいくつか読んでいるうちに
World Cafeというのも
集団での編集作業であると気づきました。

最近はWorld Cafeでの”良い編集”とは
どうしたら良いのかというのが
気になっていることです。

World Cafeの様子を伝えるには
対話風景を写真で載せるのと、
その時のテーブルクロスを見るのが
直感的で良いかなと思います。

そういう意味で
私のブログのページを利用していただけると非常に
光栄です。』

ありがとうございます。

VISIONARY INSTITUTEのルーツに潜んでいる編集性に
気づいてくださった鋭敏なる洞察力。
そして
このように知の輪がひろがることの幸福。

残り三回を丁寧に編んでゆきたい。

来し方をふっと振り返る。
松岡先生にはずっと
寛容なる母型と共に厳格なる父型で鍛えていただいたように思う。

松岡先生と初めてお会いしたのは1990年代はじめの頃だった。

アルビン・トフラー博士が最愛の奥様と共に来日された
名古屋で開催された国際会議場での仕事。
世界公園会議での司会の仕事をさせていただいていた
そのステージ袖でのことだった。

ちょうど松岡先生の『空海の夢』を拝読した直後だった。

本番前のスタンバイ中に松岡先生からお声をかけていただいたので
「先生、空海の夢を読ませていただきました」とご挨拶したら
「へえ、きみ、かわってるねえ」と言われたことは今も忘れない。

それから東京に戻っての数日後
私たちが仕事する六本木鳥居坂のMAJESTYの斜め前
国際文化会館に仲間と打合せにでかけた。

その夏計画していた宇宙物理学者の佐治晴夫先生の対談企画を
平成8年8月8日に
晴海の客船ターミナルで開催する予定にしていた。
その開催ぎりぎりのタイミングでのスタッフミーティングだった。

名古屋でおめにかかった松岡先生と佐治先生に
私たちを取り囲む宇宙と分子のマクロとミクロの両方の視点から
もしもご対談が叶ったならどんなにすばらしいかと思うと
見えない雲をつかむかのように仲間たちに語っていた。

まだインターネットもない時代
ご連絡方法はどうしたものかと仲間から尋ねられた瞬間に
なんと目の前の廊下を真正面から松岡先生が歩いてみえたから
ほんとうにびっくりした。

「あの、松岡先生・・・」
「ああ、きみ、名古屋で会ったね、覚えているよ。」
「あの、8・8・8に企画をしているのですが・・・・」
「ああ、そう、じゃあ、企画書をFAXで送って。」

そのような必然の次第から
その後に松岡正剛先生と佐治晴夫先生のご対談が実現した。

晴海で開催した後に
佐治先生の玉川大学と
松岡先生の編集工学研究所にご挨拶に伺ったら
「続けないの?」と両先生から夫々にお声をかけていただいた。
この僥倖を実践にうつさないわけにはいかなかった。

天を仰いでミラクルに感謝しつつ
その後に私たちの知と心に滋養を運ぶスプーンにちなんで
『匙塾』と名づけた対談をMAJESTYと国際文化会館で
1年間で6回連続開催した。

そのご対談内容は『二十世紀の忘れもの』というタイトルを
松岡先生が名づけてくださった書籍となって出版されている。



そして二十一世紀を迎え
その忘れものを探しに『二十一世紀の贈りもの』と
名づけることができるぐらいの書籍を生み出したいと願った。

二十一世紀は私たちの脳に隠された秘密からひもときたい
そのように念じた。

なぜなら
松岡正剛先生がエディトリアル エンジニアリング
「編集工学」をはじめられたのは
私たちの脳のひだや心のひだの間に間にひそんでいる情報を
取り出してみたいからなのだよと先生からお伺いしたことがあって
そのような知と心の一端に触れたいと強く願い
心脳問題を研究されているサイエンティストとのご対談を考えた。

途中松岡先生が展開をはじめられたばかりの『編集学校』の
第2期の黎明期に教室を担当させていただいたこともある。
松岡先生から美翔という俳号を賜り
そして教室に『六本木拈華美翔庵』という名前をいただき
13ヶ月睡眠時間平均二時間で突破した。

今となってはすべてが若さの勢いで駆け抜けた懐かしい思い出。

脳と心にひそんでいた自分の内なるなにかに
いま一瞬触れることができたというような覚醒に
体力と気力の限界のその際で
意識朦朧とする編集稽古作業の最中に幾度巡り会ったことだろう。

ちょうど二十世紀から二十一世紀への架橋の時機で
2000年から2001年へのカウントダウンの時
『編集学校』のネット上で編集稽古を繰り返しつつ
新世紀あけましていよいよ一途に多様・無常の迅速にて
ますます美翔ならんことをとご挨拶配信したのだった。

そういう訳で
二十一世紀にはいってから
脳科学者の茂木健一郎氏と松岡先生との対談をお願いした。

一度目はMAJESTYの輝く満天の星空の灯火の元で。
二度目は那須二期倶楽部の本館煉瓦の暖炉の火の前で。

『日本の清水の在処を探りあてたいのです』とお願いした。

そして
幸いにも伊勢神宮や東大寺のお水取りの話題にまで及んで
日本の清澄なる精神の水脈を探索していただくこととなった。

そのご対談は
『脳と日本人』と松岡先生がタイトルをつけてくださり
文藝春秋から2007年に発刊することが実現した。

企画持ち込みから嵐の二期倶楽部での対談実施
そしてその後の原稿編集の過程を通じて
とても緊張したプロジェクトだったのだけれど
文藝春秋社の方々にはたいへんご尽力いただいた。

皆様も二期倶楽部にお招きして
共にそのひとときを愛してくださったからこそ
美しいたたずまいの書籍となった思い出の本。
いまも二期倶楽部のルームに大切に置かれている。



二期倶楽部の冷え寂びの
冬の庭の景色の写真もふんだんに取り入れていただいた。
思い出の一冊となった。誠にありがとうございました。

知のRe・sortは
その編集的感性と技法を身につければ
いつでもどこでもその豊饒な世界につながることができる。

心のRe・sortの
その編集的直観と技法を駆使して
2010年の夏は『父なる空』と『母なる大地』につながる。

今も鮮明なそのSedonaの大自然に再生の記憶を辿る旅。
五名の多彩なゲストを迎えて
リサと私と皆でスピリチュアル・ジャーニーを敢行。

ミラクルは続く。