Monday, April 03, 2006

◯桜咲く。

昨日は株式会社日立製作所様の入社式だった。
1996年から毎年その司会進行をご依頼いただき
今年で13年目になる。

毎年この日は、桜が満開で、風に舞う花吹雪が美しい。

今年はどうしても私自身のスケジュールが叶わず
なにより信頼できるMC仲間の横井弘海さんにお願いした。
横井さんとのおつきあいも思えば20年来。
ほんとうにいろいろ大切な場面でお世話になっている。

東の空に輝くばかりの朝日の光を受けて
芝の郵便貯金ホール、メルパルクに7時に向かう。

朝一番のリハーサルにだけ立ち会いさせていただいた。

いつもは舞台上の司会台につく役割であるところ
客席から舞台全体を眺望する感覚はあらためて新鮮で
横井さんの桜色のスーツと笑顔が
壇上正面の大画面に華やいで映し出されていた。

思えば一番最初につとめさせていただいたのは
浦安のMKホールだった。
ホールの一階席にも二階席にも入社される方々が
満員で圧巻だったのを覚えている。

ステージ上のMCには正面からスポットライトをあてていただく。
だからその光のなかではなかなか正面の暗い客席側の表情は
目を凝らさないとみえない。
でも何年も仕事を重ねるとよくしたもので
客席の雰囲気はだいたい肌で感じるようになる。
たくさん居並ぶお客様席の一人一人の意識も
だれそれとなく何となく感じられるようになるものだ。

ところでその日、どうも気になるスポットがあった。
ふと司会台から客席を見ると最前席の新入社員の方が
どーんと足をひろげて腕組みをしてぐうぐう眠っている。
がーん。せっかくの人生の節目を喜ぶお祝いの儀式なのに。
なぜ彼はこんな人生の大切な記念すべき重要なひとときに
眠るのか?目を醒まして!!

そのような訳で、大会場の熱気のなか粛々と式典は進行するが
どうしたらその場にいらっしゃる方々の集中を途切らせずに
アテンションして眠らせないようにできるのか、それでいて
どのようにして品格ある式典全体の空気感を保つことができるのか、
そのようなことを考えながらMCの一言一言を放ったことが
昨日のことのように思い出される。

大人数のなかでも一人一人の存在が尊く重要であること。
一人一人の異なる素養ひとつひとつがなくてはならない
ものであって、その一見小さな力にみえることこそが
結び合わさって大きな企業を動かす原動力になるものだ。

そのようなことをこころにとめながら
お預かりした台本の一言一言に
壇上の方々のご紹介や祝辞や企業価値や
活動内容などの意義と未来価値を思いながら
大切に紡がせていただかなくてはならない。

振り返えれば
私自身、ほんとうにたくさんの多様なお仕事の現場の
MC(Master of Ceremonies)を仰せつかった。
そこで思うのは、長い間ずっとお世話になっている仕事でも
普遍で不変の価値を毎度舞台上で感じさせていただく感動である。

舞台には、総合プロデューサーの指示のもとに
進行キューを与えてくださるディレクター
そして音響さん・照明さん・カメラさん
舞台造作をされる美術さん
そしてたくさんのアシスタントの方々がいらっしゃる。

こうしてたくさんの人力の尽力が積み重ねられて
それぞれが有機的にきびきびと動きを連携し
一日の大切な情報を結ぶ人と人の出会いの儀礼が
とりおこなわれる。

日立製作所様の式典も
MKホールから郵便貯金ホールや中野サンプラザへと
年々会場が移った。
その度毎にホールご担当者の気質やチームワーク、
舞台仕事の徹底した約束事などを舞台袖で五感で
会得させていただいた。

もともと舞台はテレビよりも規律が厳しい世界だったと聞く。
だから皆さんはとても礼儀正しく仕事の進め方も正確で厳格だ。
そのようなプロフェッショナルな空気感のなかに入らせていただくと
背筋がすっと伸びて心地よい。

その緊張感は、なぜならば常に一回性のチャンスしか与えられない
現場だからなのである。舞台本番は泣いても笑ってもいつでも
後にも先にもただ一回のみの勝負だからである。
編集技は用意されない。

そのようななかで20年ほども鍛えていただいたことの恩恵は深い。
このような一回勝負の現場の仕事にずいぶん起用していただき
まちがいが許されないプロの仕事現場でさまざまな勝負どころを
見聞する現場に育てていただいた。

しかもMCというのはあらゆるスタッフがその精華を注いだ
現場の最終段階を担うという役どころなのである。
そのような厳しさを多くのプロデューサーにご指導いただいて
今に至る。ほんとうにありがとうございます。

プロフェッショナルというのは、今何か起きたときに最善の
状況判断ができるものでなくてはならないということ。
そのためには多くのケーススタディを経験的にもっていなくては
ならないということ。
そしてその現場をよりよくするためには事前打ち合わせの場から
経験上の知見を交えて本番を想定し未然にリスクはとりのぞく
力があるということ。
さらにはその本番がよりよくなるためにリハーサルぎりぎりまで
よりよくなるための努力を惜しまずにその時点での最高度の力を
注ぐことができるものであること。
しかもそれは一人だけで為し得ることではないので周囲のチームの
おひとりおひとりとよりよい関係と情報共有を逃すことなく
その細部と全体像をつかんだうえで常にその場がよりよくなる
現場の原動力にもなれるということ。常にあきらめないでスタッフ
とよりよい関係の中でよりよくなる情報を探り当てるということ。

そのようなことを
永年の現場のなかでほんとうに体感として学ばせていただいた。
そしてそれがその後の直感にもつながるようになった。
未然にある程度の現場予測がつくようになり
事前にどのような手当てをしておけば誰もがよりよくなりうるのか
そのような勘どころを与えていただくようになった。
現場のヴィジョンー想像力と創造力ーが必要だ。

「MCはつねに安心させてくれないとだめなんだよね。」
「台本与えてそのまま読んでるMCなんていらないんだよ。
 つまりはそこに魂をふきこんでくれるMCでなくちゃ
 つとめる資格がないってこと。」などなど
口の悪い直截的でぶっきらぼうな、でも紳士的なプロデューサー
の方々に注入していただいた仕事精神は財だと実感する。

その方々だって口で言うだけではなく、その分、徹底的に
仕事にこだわりをもって最善尽くす方々だからこそ
そのような指導をしてくださった。こころから尊敬している。

昨年の日立製作所入社式の際に、印象的なことがあった。
毎年MCの衣装の色指定をいただく。
司会台の後ろのパテーションの色にあわせて、マッチングする
色を自前のワードローブのなかから用意しなくてはならない。
おかげさまでずいぶん衣装持ちになった。

テレビと舞台とでは映える色味が異なるし
大女優さんとご一緒するときにはMCは控えめに。
MCが紅一点の場合には明るめに。
式典などかための場にはきっちりとしたスーツを。
エンターテインメント性のある場にはすこしやわらかい衣装を。
さまざまである。
自分自身の好みのプライベイトの買い物よりも
仕事に応じ機に応じずいぶんそれにあわせて用意したから
ほんとうの着道楽かもしれない。

そのパテーションが昨年の現場のリハーサルのときに
貼りがよろしくなくホリゾントという舞台上からあおる
ライトがついているうちに熱でしわがではじめてしまった。

ほんの一筋のしわでわずかなものだったのだけれど
リハーサル全体をみまわしていた年配の舞台美術さんが
すっとんできて幾度かそのつくりを眺め回して
若い職人さんを呼びつけた。
「これじゃだめでしょ。もういちど貼り直し。熱にゆがむんだから
前もって計算してぴっと貼らなくちゃね。
いまから急いでお願いできますか?」
とても紳士的におだやかに指導されている。
昔だったら「ばかやろー、なにやってんだ、こんなんじゃ、
つかえねーだろー」という職人親分の叱咤がとんだところである。
そのような舞台現場を幾度もみてきた。

あまりに丁寧に示唆をされ、若い方が何度手をほどこしても
うまく張り切らないので、結局最後はその先輩が
「ここをこうしてね、ほら、こうするんだよね」と
ぱぱぱっと仕上げていらした。

私は実は、リハーサルの始まる前にその若い人がその
貼りを手がけていたときにちょっとしわがよった瞬間を
そばで目撃してしまっていた。
でも、直しをしないでちょちょっと終えてしまったので
大丈夫なのかなと思っていた。
そして恐縮だが
舞台美術のこだわりも若手に代替わりしてしまうと
こんな感じにどんどん薄らいでかわってしまうのかなと
ちょっと心が曇っていた。
そのようなことは掟があってそれぞれのプロの領域なので
口出し無用なのである。

そのむなしさのなかに、リハーサル途中に背後でそのような
やりとりがなされたことには感動した。
きっとMCのお祝いを述べるはずんだ口調にもその感動は
そのまま伝わったかもしれない。

「皆様、本日はご入社、ほんとうにおめでとうございます!」

晴れやかに。
こころからの祝福とともに。
これからの明るい未来を祈念して。


日立製作所のブランドステートメントは Inspire the Next.
次世代への扉を拓く新たな日本の活力が花開く日。
よりよい未来に桜咲く。

Sunday, April 02, 2006

◯懐石と会席の解析。

いま「日本橋」がHOTだと思う。

かつて爛熟した江戸文化の要衝だったお江戸日本橋が
いまに国際的平成文化タイフーンの目になるのかどうか。

日本橋の上を走る高速道路を莫大な資金を注いで
地下に潜行させる国家事業案件などにとどまらず
いにしえの文化をいまに異文化交流させる志としての
今後見逃せない風格ある国際文化の兆しがみえる。

日本橋の天にそびえる三井の超高層ビル内にある
マンダリンオリエンタルホテルルームへ。
天井から床にとどく広く澄み渡るウィンドウ越し
眼下&足下に日本銀行造幣局をのぞむ。



この日本橋に建てられた空中回廊はここからひろがり
はるかに他県の山々をのぞむ東京景観を最上階のロビーでこそ
多くの人々に届けたいとのコンセプトで配置設計されたという。

すべてのインテリアモチーフは江戸日本橋にちなんで
古布のコラージュ質感をあしらい、客室フロアの床は
やさしい感触のバンブー(竹)が配されている。
オリエンタルでありながら日本橋的質感にこだわった
どこにもないここだけのユニークなホスピタリティ
(おもてなしのこころ)。
SPAも秀逸。ガラス張りのサウナルームは広がる東京街を
隅々まで見晴らし空中に身体が踊る。
陰陽の石を並べそこにハーブ湯を注ぎ内なる魂の浄化にまで
配慮するマンダリンオリエンタルホスピタリティには
東洋の精神哲学が息づく。かつて香港やシンガポールで
出会ったマンダリンの行き届いたホテルホスピタリティに
ときめきを覚えたものだけれど、こうして日本の日本橋で
21世紀のマンダリンスピリチュアルフィロソフィーに
触れることができることは隔世の感とともにとても嬉しい。

私は各階エレベーターホールにおかれたうつくしいアメユ
光沢の表面が深い輝きの大きな壺にいつもひきよせられる。
このツボのサイズが
人の心を惹きつけるツボでもあるのだと感じ入るばかり。
空なるツボにはエネルギーが宿る。



その日本橋には、瀟酒なスペイン料理のお店も存在する。
「サンパウ」。
カルメ・ルスカイエーダ女史によって
スペインカタルーニャの創造性あふれる美しい食文化が
日本橋ならではの文化に融合して新たな異文化を紡いで
存在する類い稀なレストラン。
女流シェフによって手がけられたアミューズの一品一品。
心づくしの発想の粋。
その豊かさとおおらかさとやわらかな優美さには
驚きの連続が降臨する。

まるで魔法のバペットの晩餐を想起するその味は
何だかなつかしくて新しい。
伺えば、江戸日本橋にちなんで海苔をつかった隠し味。
新鮮な四季折々の日本の素材に
山海珍味を融合させる手腕は、
日本の道の発祥の日本橋だからこそインスパイアされて
徹底的にこだわったのだといわれた。
日本人同様かそれ以上に
日本の素材に添い合って知り尽くし愛しんで
手を尽くしている洗練さ、
そこには女性ならではの大地の豊穣な母性的
温もりが満ちていて感動が深い。

ふと、wa・sa・bi のコンセプトを連想した。

インデックスマガジンズ社の月刊誌 wa・sa・biの
「大人のコミュニケーションマナー」というページの担当を
させていただき早いもので一年を迎えた。
最初は隔月刊だったが少し前から毎月刊となった。
「和・沙・美」とも表記されそのコンセプトを明かしている。

http://www.indexcomm.co.jp/wasabi/index.html

「和」は、穏やか、なごやかさをあらわす。
「和気・柔和・温和」などのこと、
合わせる、うまく混ざるなどの「調和、和音、中和」、
そして日本製、日本の、などの和を意味するという。

「沙」は、よいものとわるいものを選り分けるという意。

そして
「美」は、文字通り美しいもの、よいこと。
美意識、美味、賛美、美称などをいうともしるされる。

その名にあって
豊かなライフスタイルに和の感性を食・住・癒にとりこんで
毎号グラビア写真が美しい。
日本発テイストといってもよい和やかなコンセプトデザインに
優しい親和性を思う。

先日もご担当の篠田さんが次号のお打ち合わせ取材にみえた。

毎号「大人のコミュニケーションマナー」についてのお題を
いただく。5月号は「会席のマナー」。美味な話題である。

そのなかで「会席」と「懐石」の違いについて質問を受けた。
調べてみると
お酒を楽しむためのお料理が「会席」。
お茶を楽しむためのお料理が「懐石」。

「会席」は、会い集い連歌や俳諧を楽しむ席の由来であって
「懐石」の由来は、茶事の前に出される一汁三菜が由来。
あまり空腹では出されるお濃茶をおいしくいただくことが
できかねるのでわずかに空腹をしのぐ軽いお食事が呈された
ことが由来なのだそう。

しかもそれを更に調べてゆくと、「温石」(おんじゃく)なる
あたたかな言葉に出会う。禅宗の僧侶が朝昼2回の食事修行で
夜の空腹と寒さをしのぐために懐(ふところ)に入れた温かい
石のことで、懐(ふところ)に石(いし)の「懐石」の由縁。

そのようなわけで懐石料理には
どうしてもストイックな印象が纏うのかもしれないけれど
サンパウのスペイン懐石は温かく
どこまでも母性のおおらかな食のよろこびがあったと実感。
文化はグローバルに融合しあらたなステージを迎える。

「会席」も「懐石」も、
四季折々、その季節の美味し素材をいただき
その大自然の恵みに感謝しつつ
愛するひと・もの・こととの出会いに語らいを交えて
よろこびを享受する
人智の術なのだとあらためて思い至る。

そのいただく一品一品のむこうに
それを丁寧にこしらえ用意してくださる作り手の
イマジネーションとクリエーションに敬意をもって頂戴する
そのような精神性こそが芳しい。

このようなしつらい・ふるまい・もてなしにこそ
21世紀の「スピリチュアル」(精神性)というキーワードを
美しくともすことのできる民族になりたいものだ。
そもそもそのようなことが
日本の橋・文化の橋をかけるということの意義であるようにも
想像の翼はひろがる。

先日ある雑誌の文化人対談を拝読したが
「スピリチュアル」という尊厳ある他国言語を
本来の精神活動の文化レベルから
安易に勝手な流行言葉に独善的消費してしまう
こころない日本の時代精神はもの悲しすぎる。
思想の深みがまったく感じられない。
自らの精神性を自らが崇高に語り保守演出しながらも
まったく精神性が豊穣なる人々ではない矛盾がそこにある。

ところで、実際の日本橋の橋。
ほんとうに地下に潜り込ませるのがよいことなのかしらん?
確かに銀座方面から銀座通りを日本橋に向かうと
高速道路が暗くその向こうの景観を寸断してしまう。
けれども、逆に三越前を背に
銀座方面に向かって日本橋を前にすると
意外にも
水平にわたる道路に
それなりの平衡感覚がみとめられるものでもある。

21世紀的クリエーションとしては
単に地下埋蔵のみではない、もっとアーティスティックな
しつらいの建造方法があるようにも思える。
たとえばガラスとスチールの質感をあてがうであるとか
たとえば空中に浮かぶシャープな橋梁ラインをも描くであるとか。
言うは易し、行うは難し。
高度な工夫と知恵が求められるけれど、そうすれば、いま道路公団
御用達の非美的なフェンスで囲ってしまっている日本橋の由緒ある
「ここからはじまる」ゼロ起点道標も、よりよい存在感を光と共に
あらわすかもしれない。

そして、銀座・日本橋に、あの江戸時代そぞろ絵巻のような
大きな垂直の幟(のぼり)が軒並みに
風にはたはた勢いよくはためくようになるならば
あらためて平成景気が意気揚々と
日本銀行造幣局の輪転機も嬉々として唸り回転してゆくような。

そのようなHOTな日本橋の夢解析。