Monday, July 10, 2006

◯母であること。父であること。

列車移動のなかで、BLOGを記す。
気づくとゴールデンウィークからもう2ヶ月以上を
あっという間に過ぎ越してしまっている。
時のはざまにすとんと入り込んでしまっていた。
精神鍛錬の日々だった。

黄金週間に手がけていた宿題は、その後ようやくカタチとなり
ある企業の組織浸透プログラムの前線として、全国を巡る日々。
各社の社長をはじめとする経営陣におめにかかり、具体的施策を
ご説明申し上げ、その組織全体の高効率モデルへのお取り組みを
逐一ご説明してまわり、ご納得いただきながら浸透を図る。

カタチつくっても、核となる魂を宿らせなくては息づかない。

ツールや情報が横溢に用意されていても、それが現場に合致して
有効に適用していただけるものであるかどうかを、設計責任者と
して、最後まで成果が出るまで責任を持つための礼を尽くす
文字通り『巡礼』の旅である。

実際の企業の最前線現場に適用していただく調整と調査・分析、
そこからPDCAをめぐらし、
更にローカライズ・カスタマイズを図る開発ステップは、
プロジェクターやビデオカメラや資料書類を携えなくはならず
大きなキャリーバックとともに全国行脚。
行った先で早朝から終日、ハイヒールで姿勢よく立ち姿勢で
レクチュア&コーチングに努めるのは、正直日々年を重ねつつ、
身体的にだいぶん辛いときがあるものになってきたけれど、
そのぶん、精神的にはずいぶんと鍛えられた。(ように思う)。

実際にその企業様は、全国多数の販売会社を擁しておられ、
その経営も大組織のために多難を抱えておられる様相がみえる。
だから、現場最前線の販売会社社長やボードメンバーの方々との
議論内容は、実に深刻なるものに直面する場合も少なくない。

いまはまだ回答が見つからないとされる問題の解決がのぞまれる。

そのようなわけで、おめにかかった後には、帰りの途において
その議論のディテールを幾度も頭のなかでぐるぐる巡らしている。
急ぎニーズ最適化のための知恵を産み出さなくてはならず、
ソリューションのひらめきへの『発明の母』が求められる。

実際、お役にたてるのだろうか?
正直、少々、焦燥も覚える。

2ヶ月間、丸々そのような組織環境の水面下にダイビングして
ひたひたと気づいてきたことがある。

日本の組織には『厳格なる父』は存在するが、
『寛容なる母』の存在がどこにも見当たらない。

20世紀の終わり頃に、松岡正剛氏にお願いした私塾では
『分母』の重要性を説いていただき、その思考は、その後
『20世紀の忘れ物』というタイトルをつけた本に
まとめられたものだった。

戦う父は組織には多い。
けれどその心底には、
意外にも心情的なる問題をずいぶんと抱えておられて
衆生救済の千手観音が求めらる構造も見受けられて
大いなる母の存在に支えられていないことには、
なるほどと考え込んでしまう。

創造の女神<ミューズ>が必要なのだ。きっと。

当初、その厳格なる父たちが挙げる問題点には、
回答が無いように思われた。

「現況は〜な状況にあり、いま実に厳しい環境にある」
そのような現況分析から
「〜という目標がありながらも達成しない現実問題」を証し
「〜させたいが、〜しない部下たち」を徹底的に非難される。
更に、よーく耳目を澄ましていると、そこには
「〜させるためにどのように育ててゆけばよいのか」
「未来に〜なような状況をうみだすためには、
 どのような情報をどのように注げば良いのか」というような
創造的手法・育成戦略がどうにも見当たらない。

そのような環境にしばらく浸っていると、
「ものはつくるが、ひとをつくらず。
 ひとをつくれず、かたちをつくり。」という
どうにもよろしくない状況が、
過去・現在・未来にみえてきてしまう。
実に、切実。

昔、ユング心理学に学んだことがあった。

<ニグレド>という
何だか良くわからない存在?物質?から発する私たちのこころは
いずれ社会の光に当たり
こころに<日あたり>と<日かげ>が生じる。

そこに<葛藤>が生まれるが、
その切磋琢磨から
いよいよ<男性性>と<女性性>が萌える。

その<男性性>はやがて<社会性>を研ぐものとなり
更には<老賢人(Old Wise)>という知を深めゆくものとなり、
一方、対する<女性性>は<家庭性>を耕すものとなり
その先に
<大母(Great Mother)>という愛を深めるものとなる。

<社会性>は研磨し、<家庭性>は深耕するものである。
だから<社会性>を研ぐばかりでは<家庭性>は摩耗するし、
<家庭性>を育くむばかりでは、狭い領域で<社会性>に疎くなる。

やがて<社会性>と<家庭性>を伴う心身の醸成過程を経て、
融合をとげることが叶えば、
その先に<自我(Ego)>を超える
<超自我(Trans Personal)>への進化に到る。

間違ってならないのは、
その両性のバランスが必要であるということ。

男性に<男性性>が。女性に<女性性>が。
そのような分割ごとではない。

私達人間のこころのなかには両性を具え
その両性を宿らせ育むことでより豊かな広がりが満たされ、
その先には
<集合意識(Collective Conciousness)>につながる
自己を超えた広大深甚なる意識領域が待っているとする。
そこにアクセスすればあらゆる神秘が埋蔵されているという
<統一場(Unified Field)>だ。

あらためて、この示唆を興味深く思い、
現況の組織性の問題をみつめる。

戦う組織には、『厳格な父親』は多く存在するが、
『愛情深い母親』の存在がどうも見当たらない、
そもそも、その理由はなぜなのだろう?

目に見えるものと見えないものについて考える。

数字やかたちは誰の目にも見えるものだが、
ひとという生身のもののの内部性や
その存在毎にあった育て方ということには、
すぐには外部性として見てとることのできないもので、
すぐには評価しにくいものだろう。

以前、世界一のコングロマリットで
ラグジュアリーブランドをいくつも傘下におさめている企業の
ブランドブック制作とトレーニングを数年手がけさせて
いただいたことがあったが、その人事部長に言われたことがある。

「薄羽さん、もし優れた人事評価システムがあったら、
 ぜひ欲しいね。このブランドブックに書いてある内容が
 スタッフにどのように浸透しているかを
 きちんと測れるシステムが欲しいんだよね。
 一人一人の能力を目に見えるように測りたい。
 これができれば、必ず儲かるよ。」と。

そのときには、
そのようなシステムづくりに長けたコンサルティング
ファームはあまた数多くあるので、あえてそのような
仕事には就かなかった。もちはもちやである。
しかし、いまになって、その真意がよく汲み取れる。

その企業は、さすが、目に見える人事評価前に
目に見えない人づくりを先行しておられたのだ。
ヴィジョンが先にあったので、すぐにブランドブックは
創ることができたし、そのブランドブックをひもとき
活用できるひとの育成が先行した。
そして、ヴィジョンに添ったひとが育つとともに、
いよいよその先のどのような組織ができたのかを測る
その組織を構成するひとを見る指標を求める段階に
さしかかっておられたのだった。
それは、この時代にあって、満足できる先進のヴィジョナリー型の
評価システムがまだ出揃っていなかったということでもあろう。
さすが、伝統と革新の両義をそなえた企業哲学に基づいておられる。

思えば、目に見えないものに先行投資を行うことが少ないのが
一般社会だろう。その企業はヴィジョンが先にあった。

大概の企業は、見えやすい評価は求めるが、
すぐに目に見えて評価されないものには、
なかなか手間もお金もかけようとはなさらない。
速攻功利を得たい組織ほど、
大概、常にひとづくりは後回しになり、後手になる。

もう一つの視点でみれば、
ちょっぴり悲しいことだが、
下のひとが優秀になってしまうと、上のひとが
困ってしまうような場合もどうやらあるようで、
自分ごとには関心はあるが、
他者や組織全体・社会全体への貢献には無関心
ということも散見できるものでもある。

良い意味でしのぎを削って成長するという、
お互いがライバルで研磨しあって
自己組織化する学習する組織になればよいのだけれど。

自分のことしか考えず、足のひっぱりあいをしてきたような
経緯のある組織には、どうも、ひとが育っていないし、
優秀なリーダーもまた、存在していないのである。
それは、また、優秀なリーダーが存在しないから、
残念なことに
そのような組織になってしまったともいえることである。

そこには、
誰かがするだろうと、目に見えない責任は他に押し付けて
自分の功利の関心事だけを追ってきて、
育児放棄をしてきた経緯がみてとれてしまうのは、
<分母視点>からか。
子供は、父と母に育まれるのだ。

この、なかなかに多様で取り組み甲斐のある様相を呈してきた
組織環境には、実は、日本経済のこれまでの特質の縮図を見る
思いがする。

気づけば、『厳格な父親』は、高度成長期の成功者。
やればやるだけ右肩上がりの目に見える勢いの中で
成功を成してこられた経緯をお持ちでいらっしゃる。
そして、そのような方々こそ、
過去のデータ分析による結果系KPI(成果指標)への志向が強く
目に見える結果を急がれる。ゆえに、プロセス志向への視点が
大きく抜け落ちてしまっておられるようでもあるのだ。
目に見えて高い結果が目標に掲げられるため
現場には、疲弊と焦燥が満ちてみえる。
よりよい未来へのヴィジョンを掲げ、そこにたどりつくための
今を育てるという気質には、どうも不足気味である。
まだ耕していない土壌に種を巻いてぐいぐいその芽をひっぱり
引き抜こうとしているかのように思えるときもある。

これまでの過去と今の状況の差異へのシフトを読み取り損ねて
過去の成功モデルをまだまだ追いかけている姿がそこにはある。
それを否定はできないが、
私たちを囲む環境は、時代とともに明らかに変化している。
ものをつくれば売れた時代とは、明らかに異なる。
その場・その時に応じて適応するための柔軟な思考が必要とされるが
過去の方法を基盤に
革新への想像力と創造力が産み出せないでいるから
「こうあるべき」のベキ論を押しつけられてしまう。
『厳格なる父親』像がそこにある。
「今、どうしたらよいのか」という一人一人の気持ちよりも、
「過去こうだったのに何故できないのか」というお説教が先に立つ。
「何故、いまできないのか」「どうしたらできるのか」という育み方を考える
『寛容なる母』のTSUBOが肝要に思えてくる。

同じ日本のなかでも、地域が異なれば、対応も異なる。
情報のプリンシパル(原理原則)は貫くが、
柔軟なローカライズも必要である。

父であること。
母であること。

もうしばらくは、
その両義をたずさえて、走り抜けなくてはならない。

ほんとうはプライベイトで母になりたいのに、
どうやらそのような運命はほど遠く、
与えられた宿命のなかを、粛々と感謝とともに進む。


そういえば、今年の母の日に贈り物をいただいたのだった。

クライアントの部長から「プロジェクトの産みの母へ」と
かわいいカーネーションのお花をお贈りいただいた。


その方は、間もなく中学受験を控えるかわいいお嬢さんをお持ちの
お母様なのだけれど、
その家庭性とともに大組織の社会性にも向かっておられる
類い稀なご人物だ。
その方から「お母さんに」とおっしゃっていただくのは
なんとも複雑な心境になるが
走り出してしまったのだから、よりよいゴールを目指したい。

実に多くのツールと人材を開発をする多産なプロジェクトであり
実に難産でもありますが、頑張ります。

きっとそのうちによいことが待っていると信じて。