◯つなぎかえる。つなぎかわる。
静かに細やかな雨が注ぐ秋の日。
こんな日には、仕事がはかどる。
おだやかにゆるやかに白い秋。
これまでのさまざまを融かしてゆく。
ここ10数年の書類や資料を整理する。
ほんとうにいるものと
ほんとうはもういらないものとの
情報精査をするために
膨大なファイリングに綴じ込んでいた資料に
目を通し始める。
くらくらする。
時と共に一層重要になってゆくものの価値と
時と共に不必要になってゆくものの価値に
分別をつけてゆくプロセス。
いらなくなった分だけ空白をつくる。
思い切りということを迫られながら
これまでの蓄積情報を切断したり
つなぎかえてゆくというプロセスには
実にものの真価を見通す勇断が要されるので
そのような一つ一つは
実に目と頭と心を駆使しなくてはならないものだ。
それは脳の駆動力的には
きわめて高度化した仕事になっているのではないかしらん。
これまでの仕事からこれからの仕事に。
優れた想定力を基にした未来予測とともに
会社的にも個人的にも実に私秘的作業でもあるなか
そのような情報選択力に優れた人工知能が
存在するのかどうかは知らないけれど、
「どう思う?」と聞いて
「これは必要・これは不必要」と、すぐさま答えてくれる
アドバイザリーロボットと対話できれば、この作業も
ますます捗ることだろうなどと考えてみたりする。
では、その判断根拠は?
過去のクライアントとのコミュニケーション数から判断して
一刀両断的にデータの価値決めをすることはできない。
それは過去のニーズ傾向などのアセスメントはできたとしても
情報そのもののコンテンツやプロセスのバリューについての
未来価値は測ることができない。
文字数やピクチュアが多いからといってよいコンテンツと測る
わけにもいかない。
かといって、まさか、六占星術や密教秘法や誕生日占いなど
あらゆる占いデータをベースにして
近未来のあなたの運勢はこのような傾向と考えられますから
もう捨てなさい・これは取っておきなさい
と判断する情報選択などもありえないだろう。
占い基数の星の数だって
冥王星の存在認識によって
時とともに人類の志向が揺れ動く昨今だ。
では、その都度、ロボット君が目の前で筮竹をふって易判断し
このデータとっておくべし・このデータ捨てるべしの
アドバイスをしてくれたならどうか?
やっぱりだめだと思う。
ロボット君がそういったから・・・
筮竹の易があのときそう出たから・・・などと他律的志向により
自らがしっかり考えて進むという自律志向を不足させたとき
後になって、悔やまないか?
実にあのときのあの重要なデータこそと未練がつのるときなど
納得できうるものなのかどうか?
納得ということは、自らの内にあることなのであって
やはり、その納得材料をあまた集めたとしても
最後は自分の自由意志を尊重した納得にこそ力がある。
「自分自身がそのようにしたいと願ったのだから。」
自らが意志を定めることこそが
この作業の要諦なのだということに気づく。
客観データによって自らが判断をくだすということだって
データがそう言うからという事実情報に責任転嫁するということではなく
自らが読み取る事実と判断する力による自由意志に他ならない。
よく占いや易に人生を託すということがあるとすれば
極めて客観に立てない人のこころの動きが生じた時
自らの迷いや業を断ち切る契機とするためのものとして
自由意志を鍛える救済としてのツールとみるべきなのだろう。
「いつかきっと」なあんていうロマンティック志向から
「いまここに」というリアリティ志向。
空白をつくる。
しっかりと現実に目をむける。
もういらないと本人が納得した後には
どんなに価値がある資料がそこにあったとしても
ただ蓄積されているだけで生きた情報にはならない。
スペースやルームをただ
侵蝕するものになるだけの無用のデッドストックなのだから。
すべては主体的に自律的に進むことの確からしさから
逃げないことが重要なのだ。
他人任せの占いは一瞬の救いや選択のトリガーにはなるが
終には自らの意志による納得ある選択によることだ。
それでなくては、自己不在の逃避に過ぎない。
絶対運命を知ろうとすることよりも自由意志の確認素材としての
認識に立てば生命も躍動する。
などと、つらつら内側から触発される思いさまざま
ともかく、右・左に情報をふりわけてゆく。
音楽はかけない。
静かな部屋のなかで
雨音に秋の驟雨の風情を追いかけながら
粛々と内的な対話を進めながら作業する。
だんだんに、忘れていた情報・埋もれていた情報
見逃していた情報が現出してきたりする。
まあなんと目の前のことに右往左往してきて
実に本質的に大切なもの・ことを見失っていたことか。
がーん。
これが私の人生そのものを左右してきたのであったかと
神妙な気分にもなってくる。
高度情報化社会といわれるあふれる情報のなかでは
実に選択眼を駆使した情報との賢明なつきあい方こそが
クオリティオブライフを決定してゆくものだと
厳然とした事実に胸がつぶれそうになる。
ほんとうに大切な情報を手元にたぐり寄せて
玉石混淆を読む目盛りを定めておかなくてはならないと知る。
空白をつくったときにも浮かび上がってくることこそ
自分にとっての真実なのだろう。
いまさらにして気づく。
でも過去からの経緯のなかで
無駄なことなど何一つ無かったと信じたい。
それもまた、すべては今ここに至るまでの
一つ一つが重要なプロセスだったのだから。
それなくしては、今も未来も、私は存在しないはずだ。
愛おしむことにこそ存在意義は輝き出す。
シュレッダーをかけてゆく膨大な量の資料が
それだけの過去の思量を示しているかのようでもある。
かつて重要書類だったデータも微塵の紙片に
姿をかえて消滅してゆく。
あらたな情報を受容できるスペースづくりのための
シュレッダー膨大なる作業量。
なかなかに時間もかかる。
私の頭のなかの残存思量もやがて時とともに
消え行くのだろう。
そのメイクスペースによってメイクルーム。
更なる新化に向かう。
進化・深化の真価を尋ねたいと言い聞かせる。
時折、シュレッダーもオーバーヒートするので
手伝いをしてくれているスタッフがひとやすみ。
「情報のつなぎかえの時機が来たのですね。」と
永年共に仕事を歩んできた仲間と語り合う。
原点に立ち戻る。
揺らがないものは何であったのか?
その夕方。
このような作業モードが呼び込んだシフトなのだろうか?
期せずして
同時に携帯電話も新調することになった。
それまでの携帯電話番号情報のすべてが消滅した。
これからあらためて
この新しい携帯電話にご連絡を入れてくださる方々の
電話番号が新たに蓄積してゆくこととなる。
それこそが
これからのあらたなライフラインの証しとなるのだろう。
携帯電話紛失を伝えた友人から次々のメール。
携帯電話番号を記してくださる。
こうしてあらたに寄せてくるご縁こそは
いまを生きる力や愛情を注いでくれるつながりなのだ。
感謝とともに大切につなぎとめてゆきたい。
つなぎかえる。つなぎかわる。
本質的に
愛情に満ちた将来のありかたを見失わないために。
心の姿勢を潔斎するありがたい好機。