◯あかあかと。赤を見る。
六本木5丁目鳥居坂に起居するようになって15年になる。
あっという間のようでもあり
しみじみと深まる時のようでもあり。
学生時代から六本木にあるスタジオで
ナレーションやモデリングの勉強をしていた頃を含めば
このあたりとのつきあいは
はやくも20年を猶に超えるのだから目眩がする。
こころの中は、その頃と何も変わっていない。
あたまの中も、その頃と何も変わらないような気がする。
人生はもともと、その内に宿っているものにしたがって
しゅくしゅくと進みゆくもののうちに多様な出会いに恵まれ
「ほら、この体験!」
「さあ、この試練!」
「わあ、この感謝!」
などと、自らが臨む望みに叶うものなのかもしれない。
だから、うまれて本質的に宿しているものに着目すれば
「ああ、なるほど!」
「へえ、やっぱり!」
「そう、そうそう!」
というような納得感が高まる気づきが得られるものだと
開眼する日々。
そのような瞬間のことを
人は「感動した!」という。
急坂を降りて
てくてく歩くと
800m先のとなり街に六本木6丁目のヒルズ。
このあたりの景観も日々変貌を遂げてゆく。
もう4年前になるのだったか
ヒルズクラブのオープニングのときに招かれて
51Fのフロアーから東京タワーを見下ろしたときの
高みからの浮遊感にさそわれた衝撃は
いまでも忘れない。
いつもの見慣れた日常が
あらたな非日常になる瞬間だった。
それまで外側から
日々着々と段々に積み上げられてゆく
一階一階ごとに高まってゆく建造物の成長を見守り
いま、その最上階の内側から外界を俯瞰する不思議。
それまでには存在していなかったものが
ある人のヴィジョンによって出現し
その存在によって
それまでに気づかなかったあらたな地平に
出会えることの
この人生に訪れるさまざまな時機。
いつもそこにあると思っていた街中の
多様なものたちの集積が
実は異なった姿で迫ってきた。
視点と視座をうつせば
異なる視野がうまれるものだという
内と外がめくれかえるような感覚。
こころのなかと
あたまのなかの
それまでの世界観が揺れた。
見ている目の前のさまざま色彩が
不思議にいろいろ輝きを増して見えた。
よくよく振り返れば
それは昔から知っていたような
そして
ようやく出会えたのだったというような
とてもなつかしい感覚に満ちたもの。
それまで接触したことのなかったものに
触れゆくことで動いてゆく
自らの内なる意識や認知の変化への気づき。
東京タワーにはじめて昇り眼下の高速道路の車の流れを追ったのは
幾つだったか、子供心のときめき感。
エンパイアステートビルのてっぺんからNYの摩天楼を
見下ろして胸の奥があつくなった、学生時代のきらめき感。
エッフェル塔の最上階にはエッフェルさんの蝋人形が居て
パリの瀟洒な建造物文化に敬意を深めた、20代のひらめき感。
ワールドトレードセンターの最上階に昇ったのは18年前、
クリスマスシーズンのこと。
エレベーターボーイが愛想のいいまあるい顔に丸い目と丸い口の
マシュマロマン君だったので
とてもびっくりして笑い転げているうちに
エレベーターが「チン!」となって高みの展望台に降り立てば
たっぷり白髭をたくわえた赤い服のサンタクロース。
「ホッホッホーッ」とにこにこしながらたっぷりお腹を抱えて
空中玉座に腰掛けている。
わーっと近寄って行ったなら引き寄せられて
「何が欲しい?」と聞かれたので
「LOVE!」とその耳元に囁き答えたら
「もちろんだよ!」とぎゅっと抱きしめてくれたのだった、
9.11を経て今となってはかなしみ感。
あるものがなくなる。
そのかなしみのなかにも
ないものにであえる
そのよろこびを
人生の機微のなかに信じたい。
あたまのなかにも
こころのなかにも
あの一瞬一瞬の感覚はたしかにある。
なにもかわっていないことに気づくことができる。
その断片はいつでもとりだせて
いつでもあかあかと鮮やかに
ないものを満たし
あるものを沸き立たせる。
この感覚質の奇跡を思う日々。
そうだ、六本木ヒルズの最上階のパーティには
占星術師が招かれていたのだったと
ときどき思い出す。
「生まれた日と時間は?」と尋ねられて答えたら
「あらまあ、あなたが生まれる瞬間に東の空から
金星がのぼってきたのよ!」と水晶を目の前に
きらきら感。
「あなたは、女性たちとこれからますます縁があるわね。
歓びとともに美しいものにたくさん出会ってゆくでしょう。」
そう言われて
「あの、男性とのご縁は?」ときいたら
「ほんものと出会えるのよ!あわてちゃだめ!
ほんものにほんとうに愛されるのを待ってね!」と
妙なる確信に満ちて言われたのだったとあきらめ感。
なかなかほんものなんて、そうはいない。
ほんものだって思っていても
ほんものでなくなってしまうことだってあるのが世知だ。
そう考えはじめて、振り返る。
そんなことない。
「仕事ってさ、必ず神様が見ていると思って、とにかく
おごらずにおこたらずにこつこつやることだよね。そう思うよ。
すぐに結果が出るなんて思わずにさ、着実に続けていることが
やがていつのまにか、かたちになってゆくようなことって
あるじゃない」と話してくれるのは、大学時代からの男友達。
彼は、仕事柄
常に社会の動向に俊敏なるリアリストであると同時に
幼少の頃に
海外のクリスチャニティの寄宿学校に学ぶ時代があったためか
今は昔の
華やかでちょっと浮き足立った大学生バブル時代にも
意外にもしっかり本質的に大真面目なところがあって
ものごとが表面的には隠している
奥義や真義をみつめようとする人の一人だった。
いつも「考える人」だった。
昨日、仕事都合でひさしぶりに会った。
3人の男の子のパパで
家族写真を見せてくれたのが嬉しかった。
大きな仕事を幾多も手がける敏腕イベントプロデューサーで
世の中を冷静に俯瞰している業界人でありながら
長男くんがもう大学生になっていて
次男くんが大学入試を迎えていて
獣医になりたいっていってるんだよ
ねえ、いくらかかるとおもう?と話す横顔の
はにかみ感とあたたかさに
ふっとほんものを感じた。
愛ある真言には力がある。
ふらふらしないさわやかなさだまり感。
そうそうとうそのないおさまり感。
なぜ気づけなかったり気づいたりするのだろう。
耳目を澄ましてこころを鍛えあたまを整え
感覚・感情・知覚の意識構造を考える。
感じる力が
こころのひだやあたまのしわに
知覚を刻む力になっている。
そして
価値をつくりだす力になっている。
ほんものを感じる力が内に育まれなくては
ほんものに出会えない。
ほんものに出会いたかったら
ほんものをこころざすことだ。
最近読んだ本に
ニコラス・ハンフリーの「Seeing Red」
邦題が『赤を見る − 感覚の深化と意識の存在理由』。
並行して仕事関係の方から贈られた
「SECRET OF BRAVIR」
『イロハソニー − ブラビア イロ ノ ヒミツ』。
よく時に応じ機に応じ数冊を並行して濫読するという
いいかげん癖が昔からあるのだけれど
不思議にさまざま通底する真義が得られておもしろい。
今回は「赤を見る」ということのこだわりだ。
私たちは<何>を見ているのか?
さらには
私たちは<何>をしているのか?
2004春にハーヴァード大学でおこなわれた講演に基づいた
ケンブリッジ大学のハンフリー教授の丁寧でユーモアと品格に
あふれる「赤を見ている心」の記述について
なぜ意識が重要なのか?
それは「重要であることがその機能だからだ」と明示される。
意識は追い求めるに値する人生をもった自己を
人間の内に作り出すように設計されているのだという。
こころにあたまに爽快な光が差し込んでくる思いがする。
意識をもつことが
自己尊重への優位性をもつという構造であるのなら
感じる力の震度や深度の振幅がより大きい
「感動する」力こそが
それまでよりも
さらに内なる進度につながる進化をたどる
ほんものへの道筋ということになる。
それは置き換えれば
私たち人類の日々の営みの中に
それまでにない
技術の進化と意識の進化をもたらすことにも
つながることがみえてくる。
赤色の忠実なる再現力は
実に最高度の難関といわれている。
その極めて鮮明な再現性の技術力が
ソニーのブラビアの「赤を見る」という行為に
「感動体験/空間の提供」という目的を付与し
2008年にソニーのテレビは
「今、世の中で一番欲しいもの」と呼ばれることを目指す。
そのソニーブランドの感動体験の事業ヴィジョンについて
ソニーマーケティングの東城忠幸さんのことが描かれていて
以前お仕事でお世話になった時の
真摯で熱いハートが思い出されて懐かしかった。
屹立と
あかあかとこころにいろどりをめばえさせ
ヴィヴィッドに目のまえの現象にむかう。
そのような真摯な姿勢を保持している方々に学び
ほんものとの出会いへの感謝と感動に満ちた人生を希求したい。