Friday, February 16, 2007

◯節分。立春。

このところ太陽暦と太陰暦の二重生活を意識するようになって
陰陽の中庸をゆく時空間の不思議を考えている。

二月は如月。
立春に旧正月の節入りを迎える。

2月17日の今日は伊勢神宮祈年祭。
新たな年の祈りを捧げる伊勢は賑わいをみせているだろう。

先週日曜日2月11日は建国記念の祝日だった。
空はどこまでも青く澄みわたり春の陽光が踊る一日。
歴史をひも解けば神武天皇即位の日。
天下を平定し辛酉元旦に大和の橿原宮に即位されたとされる紀元節。
現代の暦に直して紀元前660年2月11日が
天皇制のはじまりとして祝日になっているという。
だから今年の暦を見れば
西暦は2007年
皇紀は2667年とある。

先々週の日曜日2月3日が立春だった。
立春は陽気地中に萌し東風氷を解くとある。
前日が節分。
鬼は外・福は内の豆まきで
邪を払い福を寄せ
清々しく立春に新たな年を迎える。
今年も麻布十番の豆源さんの一升升福豆は美味好評だった。

陰暦で立春は
なによりも大事な季節の節目とされるお正月。
占星術でもこの日の前に生まれた場合は前年の生まれに換算される。

二十四節気で読めば
春・・・立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨
夏・・・立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑
秋・・・立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降
冬・・・立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒 
日月めぐる大自然の法則整然と四季折々の季節のうつろい。


今年の立春に
伊勢神宮で20年に一度執り行われる
「式年遷宮」行事のひとつ
「お木曵き」が六本木に出張出前してみえた。

1300年の歴史をもつ日本古来からの伝統行事が
62回目の今年にしてなんと初めて
伊勢の町を離れて六本木ヒルズに来臨するということに驚く。


木遣りが朗々と唱いあげられ
白の装束が整然と清冽にまぶしい。


しんとひきしまる冷たい空気のなかに息を呑んで待つ。
いつものけやき坂がまったく異界のようなたたずまいを見せる。


神が降臨されるとする依代の榊に
陽の光が燦々と降り注ぎ美しい輝きを放つ。



六本木の地名にも因み
光の中に六本のご神木を迎える。


インターネットで太一をひいてみた。

太一(たいいつ)の意味は
〈大一〉〈太乙〉〈泰一〉とも記され
《荘子》などでは〈道〉の同義語として用いられているそうで
《淮南子(えなんじ)》天文訓では
〈紫宮は太一の居なり〉〈太一は北辰の名なり〉というように
やがて天界の紫微宮を居所とする北極星の神名となり
漢代では宇宙の最高神と考えられたという。

太陽と極北の星が共に最高神と考えられる由縁が興味深い。
現代では「太一」は伊勢神宮と同じ意味で用いられている。

昔、伊勢へ奉納する品々を積んだ船には
「太一御用」の旗が掲げられていたそうだ。
伊勢神宮の遷宮の際に使われる建材には
「太一」の文字が書かれているのが流儀だという。
これは今も昔もかわらない。

昔は伊勢両大神宮へ奉献の道中
神宮より下賜された「太一御用」の提灯を先導にして進んだ。
この提灯をみると、大名も下馬し、宮川の渡しも
旅人は調進一行の通過を待って渡ったと伝えられる。
今はヒルズのメインストリートに人々集い
ご神木を車にのせて曵く姿を仰ぐ。
神様も親しくプロモーションをしてくださる時代。

天照大御神は本来歴代天皇の大殿で祭祀されていたところ
崇神天皇の時代、ご神威を恐れて鎮座地を倭の笠縫邑に移した。
その後、倭姫命が奉戴しながら新たな鎮座地を求めて
岐阜など日本の中央位置の各地を巡った際に
いよいよ伊勢に到着し
天照大御神が信託を下したという神話を思い出す。

  この神風の伊勢国は
  常世の浪の重浪歸(しきなみよ)する国なり。
  傍国(かたつくに)の可怜(うま)し国なり。
  この国に居(お)らむと欲う。

そこで、伊勢の地に社が造営されることとなった。
天皇家参拝のルーツをひもとくと
中国・道教に見る神仙思想のなかに
陰陽道の前身である道教の最高神のひとり
「天皇大帝(てんこうたいてい)」の存在がある。
その天皇大帝は北極星を神格化したもので
その前身を紫宮(しぐう)に棲む「太一神」というのだという。
現在の「天皇」という名称はこの「天皇大帝」から来たといわれる。

伊勢神宮は太陽神の天照大神とともに
北極星の北辰信仰にもつながることを
このような機会にうかがいしることは誠に興味深い。

伊勢の内宮皇大神宮にはよくご挨拶に伺う。
そのはじめは1994年
世界祝祭博覧会-通称「まつり博」の開催で
ミキモトパール様出展の
ミキモトパールドームの教育の仕事を承った時だった。
館長にお誘いいただいて早朝の外宮参拝。
杜をぬけると真っ白なご神馬がすっとたちあらわれて驚いた。

伊勢参拝の約束は昔から
二見ヶ浦の海水で身を清め
外宮を先に参拝し
それから内宮の皇大神宮にお詣りするのが流儀だと
後から聴いた。

その翌日に続く内宮参拝。
前夜に東京から電話がはいる。
偶然にも神官をつとめる知人からの進言。
「内宮にゆかれるなら必ず神楽殿でお神楽奉納をしなさい」。

初めての雅楽奏上神楽奉納。
内宮神楽殿でもったいなくも
一人神前にたたずみ神遊びにあずかった。

笙の音にふわありと光が射し込み
龍笛の天に勢い向って空を昇りゆく吉祥の音がひろがり
篳篥の主旋律に荘厳な祝詞がとうとうとあげられる間に間に
笏拍子がぴしりと気をひきしめてゆく。

   なにごとのおわしますかはしらねども
            かたじけなさになみだこぼるる

天上界にたゆたうひとときに心酔し
西行の遺した神域の心境そのままに皇大神宮にむかい
ふと深い緑のご神木の木々を見上るなら空をわたる7色の虹に驚く。

風光明媚な伊勢の地に天照大神を鎮座させたもう倭姫命は
敏腕ヴィジョナリープロデューサーだったに違いない。
20年毎の遷宮を通じて
神域がいつまでも常世に瑞々しく若返りを繰り返すことの
昔も今もかわらないクリエーションを現代にまで息づかせた。

神代の時代からその社は
木・麻・紙・塩・食あらゆるものが
ご神域にあるもの大自然からの恵みですべて賄われる
自給自足が成立するよう持続可能装置にデザインされている。

そのしつらいやものづくりの設計技能と精神も
20年毎にその時代から次世代にそのまま確かに代々途絶えず
伊勢のご神領民の
親から子へ子から孫へと共に文化伝承されるように
優れた職能開発装置としてヴィジョンされていた。

六本木のお木曵きイベント終了後
その六本の木に神宿る装置として両脇に差し掛けられていた依代。
その立派な榊を偶然にも頂戴した。

二枝いただいたので
いくらかは挿し木にしてみようと挑戦中。
そして大きな枝は重なりあい
MAJESTYのバスタブに浴していただき
あたたかな光があふれるなかゆっくりお寛ぎいただいている。
葉があおあおと瑞々しく輝いている。

弥生は誕生月。
幸多く福豊かに春分が待ち遠しい。
伊勢にむかって二礼二拍手一礼。

Sunday, February 11, 2007

◯賢者の知恵。時代の作法。

『挨拶』ということについて
あれこれ時代感覚の違和感など考えめぐるうちに
あるクライアントの現代作法の独自設計の仕事をきっかけに
『江戸しぐさ』について調べる機会を得た。

264年間の時を刻んだ江戸時代の市井の人々の知恵。
向こう3軒両隣の相互尊重の思いやりの心のなかに育まれた
商人の意気と粋の文化。

日常にあってどのような人間形成がのぞましいのかということを
近隣の人々が参集し学び合い姿勢を正す契機として
『講』という学習する組織づくりが行われていた賢者の才覚。

その学びの場に赴くときには
皆、水かぶりをして心身清めて集ったというのだから
ただ知識のみに傾くことなく
精神性をも尊んだ
本質的な祈りに近い知恵へのアプローチがあったのだろう。

その場にあって
互いの真や善に通じる美学を育み鍛えんと潔斎し
永続的に人間成長の真価を進化・深化させる仕掛けがあって
会合でその場の気配を読み取る力や、商談の際にもちょっとした
仕草から相手の心内を読み取るなど、日常生活で見えないものを
見る力は、現代よりももっと豊かに富んでいたことだろう。

もともと「江戸しぐさ」は「商人しぐさ」=「繁盛しぐさ」であり
商売繁盛の極意・奥義であったため
明文化されることなく身体性に刻まれる知恵として
口伝のみで学ばれたという。
その江戸文化の財を師匠の免許皆伝で利き書きされ
現代に目にみえるかたちで書き下ろしされた越川禮子氏の著作
『商人道「江戸しぐさ」の知恵袋』講談社+α新書に学ぶ。

1.忙しい、忙しいと言うな
  →忙しいとは心を亡くすこと、決して自慢できることではない

2.そんなに偉い方とは知らずにと言うな
  →偉くない人には無礼をしても良いのか

3.知ったかぶりをするな、見てわかる事を聞くな
  →知らないなら知らないと言った方が良い

4.人の話を真剣に聞くときにメモをとるな
  →メモを取ると話す人の気が散る、聞く人の真剣味が減る

5.自分と違う意見をないがしろにするな
  →意見が違うから参考になる

6.はい、はいと二度返事をするな
  →一度目は了解、二度目は迷惑

7.感情を逆なでする言葉を使うな
  →聞く人の気分を害する

8.人の意見を無視する言葉を使うな
  →話している人は真剣だ

9.人に行き先をむやみに聞くな
  →プライバシーを尊重せよ

10.相手を卑下するな、威張るな
  →そんなに自分が偉いのか

11.三脱の教え。初対面の人に年齢、職業、地位を聞くな
  →聞いて付き合い方を変えるのか

12.人と会っているときに足組み、腕組みをするな
  →自分を誇示する印象を与える

13.紹介者を飛び越えて親密になるな
  →紹介していただいたことに感謝せよ

14.打てば響く心意気を持て
  →説明しなければわからない輩とは付き合うな

15.何をしてもうわの空の人とは付き合うな
  →いつでも真剣勝負、些細なことでもないがしろにするな

16.口先でなく目で人を判断しろ
  →表面的な言葉では判断できない、本質を見よ

17.三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる
  →江戸の稚児の段階的養育法。
   三歳までに人間の心の糸をしっかり張らせる。
   六歳までに躾を手取り足取りまねさせる。
   九歳までに人前でお世辞のひとつも言えるくらいの
   挨拶が出来るようにする。
   十二歳には一家の主の代書が出来るようにする。
   十五歳で森羅万象が実感として理解できるようにする。

18.突然の訪問、遅刻で人の時泥棒をするな
  →時間は大切なもの、自分の時間だけでなく相手の時間も
   奪っていることに気づけ

19.うかつあやまり。足を踏まれたらうっかりしていましたと謝れ
  →ぼんやりしていて踏まれた側にも責任がある、思いやりの心

20.常に人を思いやれ。傘かしげ、肩引き、こぶし腰浮かせ
  →傘かしげ・・・雨のしずくがかからないように
   傘をかしげあって気配りして往来するしぐさ。
   肩引き・・・狭い道ですれ違うとき、肩を引き合って
   胸と胸を合わせる格好で通り過ぎるしぐさ。
   こぶし腰浮かせ・・・乗合い船で腰の両側にこぶしをついて
   軽く腰を浮かせ、少しずつ幅を詰めながら1人分の空間を
   作るしぐさ。

公共広告機構が一部を地下鉄マナーで展開したこともあるので
この話を仲間にしたら知ってる知ってると親しんで盛り上がる。

なんとも普遍的に現代にも通じるところがあるとともに
耳学問によって心学を重視したあとも見受けられて興味深い。

しぐさは「仕草」と書けば、何かをするときの表情や動作とされるが
江戸しぐさのそれは「思草」と書くという。

「思」は思う・思考のこと、
「草」は行う・行為のこと。

「言い草」という言葉にもあるように、その人が日常培ってきた
考えや思いが、その場・その時に、反射的にかたちとなって外に
出てくるものだとされる。

日頃の考え方を研磨して美しくなければ、自ずと動作や表情、言葉に
立ちあらわれるところとなり、そのような姿勢・形を江戸文化は
相互に深く読み取って、直感力が研ぎ澄まされてあったのだろう。

心学や観相学などは、その後、近代の波に洗われ途絶えて久しいが
実は、ものの観察眼・審美眼としては
本質が形態となることの大きな知恵を含んでいるとして
現代の復活をのぞんでもよいようにも思う。

なにより江戸の子育て法則
「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」には
愛ある豊饒なる英才教育の知恵があることだ。
十五歳で森羅万象が実感として理解できるようにするための子育てを
いまの時代に問えるだろうか?

中学校から高等学校への進路が、その後の人生を決定づけることは
あるだろう。
その時に、何を自らの拠り所として進路選択できうるだろう?

世の中のさまざまな森羅万象の理解から
自らが希求する自らの進む道を自己選択する力を育ませるか否かは
実は、現代の高度情報化社会にあって
真に重くも重要な能力であることだ。
自己尊重や自己信頼に基づくその後の人生のためにも
はやすぎることは決してないように感じる。

「外的世界と内的世界が一致しておこる情緒の世界」を
江戸時代中期の国学者本居宣長は『もののあはれ』と定義づけ
もののあはれを知ることは人が生きるための道徳の基礎だと説いた。

いのちの儚さや愛おしさを知るための共感力。
自分だけの解釈にとどまらずに人の心に立った配慮ある理解力。
そのような見えないものを見るという力を
単に知識を得るだけに留まらない
知恵に読み替える高度な学習能力として培ったものだ。

正しい姿勢とたたずまいを日々あらためるなかに教え教えられる
天地の陰陽の調和の間に人がある和を以て貴しとなす
人間(じんかん)の理が息づいていた
江戸という時代の叡智。

現代の日々の営みのなかに
あらたな作法を呼び起こす。

私たちの文化情報遺伝子を
単に情報に留めることなく
目に見えて思草として発現する
体内遺伝子に宿る知恵を再起させてみたいと思う。

意気と粋が
生き生きと息づく
平成しぐさへ活き行かん。