Sunday, March 04, 2007

◯サイレント。ブリリアント。

春の風が吹き抜ける。南風だ。
やわらかな風に甘い匂いがのってくる。
春の陽気は心地よい。

その風にふっと懐かしい記憶がわきあがった。

15年程も前のこと
今と同じような風吹く季節に
自分自身の中に潜む深層心理について知りたくなって
ホリスティックなアートセラピー手法を学んでいたことがある。

思えばそのセッションは実にプラグマティズムに貫かれたもので
心の深層に隠されている真相を目の前に描き出してくれる
卓越したセッション内容だった。

メディテーションにはじまり
アート・ダイアログ・コラージュ・ダンス・チャンティング・・・
現代を無事無難に生き抜く為に
日常は必要とされている仮面−ペルソナを用心深く剥離させ
顕在意識に覆われていた固い意識表層を柔和させてゆく
入念で段階的なプロセスを通じて
だんだんに心の深層を探索してゆく。

数ヶ月に及ぶものだったが
そのような経験を通じて
みえなかったものがみえてくる。きこえてくる。
大気の流れや香り
人の意識の機微とぬくもり
過去と現在の因果と未来への創造価値
世界の微細なるものすべてが輝きを増してくる。

自らの傷に触れ
その痛みに怯え
その救いに光を得て
その優しさに安堵し
いっぱい泣きいっぱい笑い
いっぱい手足をのばし心をひらく。

いかに日頃に看過してしまっていたものや
無視したり押し遣ってしまっていたものたちが
自らの人生を狭く彩りのないものにしていたかということに
ほとほとあきれるほどに気づき
自らと他者へのいたわりを通じて
愛あるものの尊い存在を貴くも経験的に得るものだった。

そのセッションも終わりに近づいてきた頃
ある課題が与えられた。
二日間のサイレンスである。

サイレンスとは静寂。
まったく話しをしてはならない。
声もあげてはいけない。
ただひたすらに沈黙を守る48時間。

その頃はすでに独り住まいをはじめていた頃で
家に戻っても何のことはないお易い御用の課題だった。
もともとあまりおしゃべりも得意な方ではないので
48時間の貝の口には抵抗はなかった。

でも意識の中では
沈黙を守らなくてはならないという
能動的な意識が働くので
無意識にただ黙っているのとは別に
沈黙へのある種の緊張があって
全身の感覚総動員で注意深くなってゆく。

不思議と口を塞ぐと目が開く。耳も澄ます。気配が迫る。

沈黙への注意深さが非日常となって
ありありと目の前の景色のうつろいが総天然色となってゆく。
改札で切符を切ってくれる駅員さんのちょきちょきの音
電車のつり革に手をのばしたときのつるりとした感触
隣の人たちの会話一言一言の響きや喜怒哀楽の感情
夕食のスープの温度にもその具の野菜の種類やかたちにも
いたって敏感になってゆくのがわかる。

夜の眠りにも注意力が必要だった。
夢のなかでも沈黙を保とうと努めている意識が動いたようで
目覚めたら全身が凝っていた。。

翌日もつつがなく過ごす。
友人が訪ねてきたけれど画用紙に筆談で事情を伝えた。
にっこりして「あとで様子をきかせてね!」と帰って行った。
夜はだいぶなれたのか深い眠りで朝を迎えた。

いよいよその翌日
沈黙のままに支度をしてセッション会場に向う。
だんだんにその沈黙を意識しなくても
その静謐なトーンに溶け込んできている自分を感じはじめていた。

途中どうしたことか乗っていた総武線が急停車した。
ホームを数名の駅員さんが走り抜けて行った。
アナウンスで飛び込んだ人がいたのだと知った。
車内が憂鬱で暗澹とした雰囲気に包まれた。

沈黙のなかで生と死とについて考えさせられた。
まるで沈黙の世界は彼岸のようだとも思う。

想念だけで存在している世界にきっと言葉はないだろう。
思った瞬間にそれは行動しなくてもその思いが伝達される。
だとすれば
此岸に生きる私たちの言葉を通じて存在を交えることには
格別の努力と学習機会とその歓びが与えられていることだ。

何のために生きるのか?
何のために死に急ぐのか?
何のために人として生まれてきたのか?
何のために人として存在するのか?

ようやく列車が動きだしたとき
死を考えることによって開放されることよりも
生きて開放されることの可能性への意義を心にとめていた。
逃避を超えたときに私たちはきっと恐れを超えることができる。

困難に直面して
もうこれ以上乗り越えられないと考えた
その限界(かぎり)の先(さき)にこそ
ようやくいよいよ必ず救いが訪れるという信念を
私たちが心底抱くとするのなら
その早来迎のような訪れの瞬間に出会う奇跡も
生きる糧に得られるというものだ。

そのような生きることの精神の強度を
現代は誰も広く教えてはくれないものだなと思う。

遅れてセッションルームにはいると
すでに数十人のメンバーが
沈黙の中で先生の言葉に耳を傾けていた。
軽く会釈をしてその輪に交じって静かに着座すると
さっそくこれからサイレントワークの仕上げに
全員に外出時間が2時間与えられるという。

ひきつづき沈黙を守ったまま街に出て
そこでどのようなことが起きたのか
何に出会ったのかを2時間後に分かち合うということだった。

皆48時間の沈黙を保ち続けていたようだった。
目と目の合図にも瞳の輝きの深さが満ちていて印象的に思えた。
皆三々五々街頭に出かけて行った。

そのセッションルームは平井という街中にあって
階下は先生のご主人が経営される青果店だった。

まず店頭のみかんの鮮やかな色に目がとまり足がとまった。
ご主人が私たちのサイレントを知ってか知らずか
「はいよ、食べていきな、甘いみかんだよ!」と
皮ごとミカンの房をちぎってぽんと手に渡してくださった。

言葉は語れないので
ありがとうございますの満面の笑みを返し
手にして歩きながら口にした。

ひんやりとしたミカンの皮の感触。
一房ずつ舌にのせつつ味わうと
みずみずしい果汁があふれて
甘く優しい生のぬくもりが咽を潤してゆく。

生きているということの甘美さ。
涙があふれてきた。

立ち止まってしばらく茫然としていると
遠くの方から春の風にのって
つくつくとんとんぴーひょろひょろりと
ほんのかすかにお囃子が聞こえてくる気がする。

風向きが変わると音がとだえてしまう。
心静かに耳を澄ましてそちらの方向に歩き出した。

どうやら空耳ではなかったようで
だんだんに笛や太鼓の音色がはっきりとしてくる。
さらに確からしさを抱いて歩き進めると
目の前に川が流れる土手に出た。
後で知ったが
平井と亀戸の間を流れる平井川という江戸川の支流で
その日その川を結ぶ「ふれあい橋」の竣工式が行われるのだった。

ペンキ塗りもぴかぴかの新生「ふれあい橋」。
その橋のたもとに居てお囃子の音に耳を傾けていると
人がどんどん集まってきた。

「神輿がくるよ!神輿だよ!」
小さな子どもも大人もどこから集まってきたのか
いつのまにか黒山のひとだかり。
「道をあけて!神輿が通るよ!」
先導のお囃子とともに
金銀のちいさな紙吹雪が豪勢に空中に撒かれながら
かわいらしい御神輿が右に左に揺られながら近づいてきた。
こんなこともあるのだなあと沈黙のうちにたたずんでいると
となりの老婆がつんつん私の袖をひく。
「ねえ、わたしゃ、おみこしが大好きでねえ、
 昔っからねえ、わくわくするのよ」
腰のまがった老婆が深いしわに満ちた笑顔を
さらにしわくちゃにしてにこにこしながら語りかけてくれる。

話しかけたいが話しかけられない。
老婆にうんうんとただ深くうなずくばかりで
腰をまげて目の高さを合わせてしわくちゃな笑顔を返した。
「ほらね、よいさ、よいさ、あははは、
 いいよねえ、おみこしは、それ、それ」
お囃子にのせて無心に老婆が両手をあげてほいさほいさと拍子とり
御神輿が左右に揺れるたびに私の袖をひっぱりながら
ちいさな身体を揺らす姿は童女そのものだ。

そのいきいきとしたしわしわの手の動きは
いまでもありありと思い出される。
小さな老婆の姿が次第ににじんで見えてきて
私の顔もくちゃくちゃになってきたころ
私たちの目の前を御神輿が通過した。

それまでのうきうきした気持ちをすーっとおさめて
神妙に両手をあわせて御神輿に祈りをささげる老婆の姿には
長い人生の旅路の先にある豊かなたたずまいがあった。

私も手を合わせしばらくの間に沈黙の祈りとともに
顔をあげて通り過ぎた御神輿を目で追いかけてから隣をみると
すでに老婆の姿はもうそこにはなかった。

あっという間に蜘蛛の子を散らすかのように
大人も子どももその場を立ち去り
ただ「ふれあい橋」の上の金銀の紙吹雪の紙片だけが
ひとときの祝祭の跡だった。

一連の様子はとてもとても不思議に思えたのだけれど
そのようなこともあるのだと
サイレントの状況下で人生の神秘の機微を学んだ。
いまもあの老婆の神性あふれる姿の輝きが忘れられない。

15年前のその後セッションルームに戻った時
個々の発表機会が与えられたのだったけれども
このようなことを話すことでその輝きが奪われてしまいそうで
その時の私はこの件については沈黙を続けてしまったのだった。

今こうして時を経てあらためて記す時機が到来したことに
当時では想い至らなかった感慨を思う。

生きぬくということを通じて
老婆になったとき童女であることが叶うだろうか。

生きぬくということにおいて
真実に出会いたいという希求に晒されたときには
いつでも静かなるしばしの沈黙を保ち
自らのありどころに立ち戻り
わきまえを失わずにあることは叶えたいものだと希う。

生来が将来を呼び覚ます。
将来が生来を呼び覚ます。
春の訪れに懐かしい記憶の招来。