Saturday, January 10, 2009

◎Remember・December・

今年もそろそろクリスマスツリーをチップにして
森に戻す時期が訪れる。

毎年シアトルから届くもみの木は多様な種類がある。
ダグラス・ファー、ノーブル・ファー・バルサム・ファー
全米クリスマスツリー協会によると
クリスマスツリーの種類は59もあるのだそう。

今年のもみの木の風情は終始優雅だった。
飾り付けをする時に昨年仕舞った豆電球が
幾つか断線していて
ちょっと困ったのだけれど
昨年購入したことを電話で告げて相談してみたら
近くの六本木ゴトウ花店さんのプロフェッショナルが
責任をもってわざわざ駆けつけてきてくださり
一つ一つの豆電球の接触を確かめて
全灯させてくださったのだった。
その心意気がうれしかった。



ツリーの輝きを見つめていると
ふっと昨年12月のニューヨークの写真展開催が
時空をこえて思い出される。

ギャラリーエークワッドの川北館長
チーフキュレーターの岡部さんご家族のご尽力をいただき
ニューヨーク日本クラブギャラリー展の実現が叶った。



オープニングレセプションにて。
喜ばしい時にはOrbもいつも共にある。



いまもこの時空はありありとここにある。
一瞬一瞬の細やかなディテールまでが思い起こされる。
心象とは不思議なものだ。









リサのさまざまなワークショップを開催したのだった。
シロクマがお出迎え。
街行く子どもたちとの出逢いにも心弾んだ。





コロンビア大学付属の小学校で
子どもたちにアート教育をなさっている
丸岩よしこ先生もリサとコラボレーションしてくださった。





リサが北極圏のポーラーベアの生態や親子の愛情
そして写真を撮る際の感応し合うコミュニケーションについて
講話をした後に
丸岩先生は北極の風の音に耳を傾けて
その地球の極北の場にいるメディテーションを促し
そこからインスパイアされた個々のイメージを
絵を描いたり詩を読んだり
ポーラーベアのキネティックアートを作成したり
縛りのない自由な表現へと繋げてくださった。

大人から子供までが自由に
思い思いの想像と創造の世界に遊ぶひととき。
出逢いの感謝と共に。

別の日には小学生のフィールドトリップ。
一人一人の生徒さんが耳目を覚してリサの話しに聴き入る。
リサの一言一言が
生徒さんの内側に染み渡って
何かが励起してゆくのが目に見えるようだった。
生徒さんの瞳に輝きが増していったのを見逃せなかった。





リサの熱演にインスパイアされた生徒さんたちの
一筆一筆に力がこもった
心溢れるメッセージが寄せられた。
リサの写真を観察して
一番心に迫った北極グマを
自らの手で描いたという生徒さんが多かった。



その夜
月が美しく輝いていた。

天空があまりにも澄んだ空気に満ちているので
日本クラブの斜め向かいのカーネギーホール越しに
月を仰いで撮影。






一枚目はピントが手前にあってしまったようで
カメラのレンズの汚れなどかとも一瞬思えるが
連続して撮影している同じ箇所に認められるものがない。

Orbをカメラではなく自らの眼で認められるかという疑問が
よく寄せられる。

カメラの撮影で視認できるものが
そのまま眼で見えているわけではないけれど
例えば壁があったとして壁を見ようとするのではなく
壁と眼との間の中空に視点を合わせるようにすることで
見えるようになるという一説もある。

光を照射した瞬間や
カメラの赤外線で空中を追いかけてみると
時折Orbの存在は眼で見ることができることもある。

だんだんに実験を重ねて見たい。

まだニューヨークの心温まる夢のようなひとときから
醒めやらない一月。

◎Bright・Delight

今年最初の満月は実に輝きに満ちていた。

この月の輝きのいまここに
どれだけの人たちが同時にまなざしを向けているのだろう。

世界中のあの街この街のあの人この人を思い浮かべる。

東京タワー上にさしかかる天空の月と時空を重ね合わせて邂逅。



昨年のクリスマスから東京タワーは時折プラチナ電飾に
イルミネーションを変化させてきたけれど
やはり温かな光を放つ灯明のような存在がふさわしく思える。




光が私たち人間にもたらすものについて考えてみる。

明るい光はどうしてこれほどに
内なる喜びを派生させるものなのだろう。

それは眼から入った刺激が脳内で快ホルモンを発生させるから
というような人間のメカニズムの化学的理由に依らなくても
月光を浴びれば人はしなやかになれるし
日光を浴びれば人はかろやかになれるということを
自らの外・内・心のバランスと共にあれば
その身体性の変化を感じ取ることができるものだ。

皮膚の輝きや張りや収縮・膨張感
重力に対する身体感覚の重心の定まり方や軽重感
筋肉の弛緩や動きの静動感
内蔵の循環機能の円滑感・停滞感

光と共にあることで自らの存在や機能にも明るくなれる。

このところ懐かしい友人達と会い
他愛もないことで明るく笑い合う。
無性に明るい性格は
向かい合う人の笑顔を照らしだし
微笑み合う人の心をも明るく照らしゆく。
そして共にここに無事にあることを喜びあう。

何の打算もなく無目的ながら
互いに笑顔を交わし心を支え合う微笑みのなかにある。

そのようなことが実は
人の根本存在に深く関わるものなのだと
世知辛い世の中にあればあるほど純粋に感じる。

Orbに関するカンファレンスに
これまでに3回出席してきた。

第一回目の開催は2007年5月
アメリカのアリゾナ州セドナに於いてだった。
主催はスペインのマジョルカ島に居るCodyだった。
以来世界中でOrbに関する動きが水面下で行なわれて居る。

第一回目の参加は400人を超える出席者が
世界中から集まっていた。
オープニングはアルベルト・ミロード博士の基調講演から
スタートした。
サンフランシスコ大学の研究室で
脳科学の研究を行なっている科学者であったのだけれど
毎日顕微鏡でシャーレをのぞいていても
脳のことはわからないと切実に感じて
以来文化人類学の領域に転向。
そして北米のシャーマニズムについて研究を重ねてきた人物。

その講演内容はあらためてこのブログに綴ってゆきたい。

今日は海中にOrbの光を認めてきている
ジョン・オーシャンのことを添えておきたい。

ジョン・オーシャンはハワイ島を拠点にイルカやクジラと
コミュニケートするワークショップを永年開催。

海の中では空気中よりもOrbsが見えやすいという。
大きな白い光でまるでぐるぐると回転する
ディスクのようなものに見えるのだという。

ジョンはイルカも好きだけれど
カンファレンス会場のように
スピリチュアルな人々が集まっているところも
とっても気持ちがいいですねという
イントロダクションからはじまった。

Orbsについてのジョンの見解は
広い世界観から述べられていた。

以下に手記からジョンの発言記録を転記しておきたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まず今まで人間が見たことがないエネルギーであること。
いままでの物質界はこういうものだと
これまでに人間が思っていたことに
新たな挑戦するかのような
Orbsチャレンジが起こっていると提起した。


人類が今まで客観的に
こういうものが物質界なんだよと思っていたことを
覆すことが起こっているのがOrbs。

今までのMATTER・ENERGY・SPACE・TIME
これらの法則外のもの。

Orbsはこれらのものを全部超越しているのだと
果敢に語りかけていた。

これまでに撮影された数多くの写真サンプルを
スライドショーで掲げながら次のように発言。

馬や猫など動物のまわりによくOrbsがいますね。

これはクオンタム・リープ(量子的な跳躍)。

いままでの私たちが理論で考えてきたことと
フィットしない。ORBSは何なのでしょう?

これは、ETなのかしら?
フェアリなのかしら?
それとも自分から出てくる何かなのか?

これはNORMALなのかPARANOMAL
普通の現象なのか、超常現象なのか?
いろいろな質問があります。

でもこのSPHERE(スフィア)
このぐるぐるまわるORBSはいろいろな色があります。

それはCharged Particle Prazma
荷電粒子プラズマなのではないかと思います。

エネルギーボールがスピリットになる。
で、地球上に来た。
で、このスピリットは私たち人類を次のレベルに導く為に
私たちのConcious Evolutionー意識の進化のために
現れているものです。
Orbsは我々の考え、思いや考えにRespondー反応する。

だからORBSとはコミュニケーションがとれる。

もしかしたらそれは例えば身体を持たない意識とか
彼岸なのかもしれない。

大きいものも小さいものもある。
どこでも神出鬼没で現れる。

ORBSにはとてもユーモアのセンスがあって
とても可愛いカタチのものもいっぱいある。

顔のカタチをした穴のあいたものもあるし
私たち人間はにわからない
説明できない
知らないもの
この自然界を超えたもの。

そしてこういうことがあることが当然なんだと
受け入れて思うことがいいでしょう。

Orbsの源となっているのは
ハートのエネルギーと関係していると思います。

例えば動物や人間や愛や自然や人々が
エキサイティングしているような花火大会やお祭り
そういうようなところでよく現れる。

光に偏向するーPorlarlize To Light。

例えばJoy-喜びやHappiness-幸福で
至福を感じている時や遊び心があるところに現れます。

とてもイルカに似ている気がします。

イルカはそのようなものをすべて持っているからです。

そしてOrbsは私たちがいるから存在するということではなく
我々人間が居なくても存在するのです。

私たちが居ても居なくてもそこにある
その存在意義
存在する理由があるためです。

グループマインドだと思います。

Orbsは我々に
自分たちの姿を見せてくれている。

いま私たち人間と一緒に居てもいいよと
Orbsが思っているから姿を現しているといえます。

それはOrbsが選択して
我々にその姿を見せてくれているんだと思います。

ですからそれらは物質世界の物質を超えたものだと思います。

では物質のものとは何でしょう?

すべてのものは波であり粒子でありバイブレーションであり
ですから私たちの身の回りのものは固体だと思っているものも
実はまったく固いものだというものではないことを
私たちは知っています。

誰かを失った亡くした人が
Orbsの写真を見たらとても勇気づけられることもあるのです。

例えば手を出して「おいで!」とすれば
Orbsたちは寄ってきます。

では、ちょっと皆さん、実験をしてみてください。

私たちのLOVEー愛情にOrb達はちゃんとRespond-応えてくれるのです。

そのInteractive-インタラクティブ-相互作用関係は
とてもイルカに似ています。

海の中では、実にいろいろなことが起きているのです。

例えば流れがあったり泡があったりプランクトンが泳いでいたり。
そしてOrbsもたくさん存在しています。

でもOrbsは他の流れや泡やプランクトンなど
他の生き物とは異なり違う動きをします。

浮いたりもしないしほんとうに考えられないような動きをします。

海の中ではイルカと泳いでいると
自分の目でよくOrbsを見ることができます。

そのまわりの環境と調和がとれていると感じる波長のときに
よく見ることができるのです。

それはイルカのエネルギーのようです。

ですから調和をとるという周波数ー
そういう気持ちであることが大切です。

何枚かの写真を見せますが
海の中では私はほとんどフラッシュをつかわずに
Orbs写真を撮っています。

時々海の中でよく
魚のまわりに説明ができない大きい白い光が現れます。

それは大きい白い光で
その白い光が動くんです。

魚やイルカがその白い光の中に飛び込んで
光のなかを通り抜けて泳いでいくのをよく見ます。

私も何回かそのような体験をしたことがあります。

その白い大きい光の塊に泳いでいくと
音が聞こえなくなる。
そして誰もあなたを見ることができない
まるで消えてしまう。

これもOrbsの一種なのかしらと思います。

その光の中を泳ぎ
その光を抜け出た後には
ほんとうに至福の喜びでほんとうに幸せな気持ちになります。

イルカもOrbsと同じで
理論的に考えたらありえないことなのだけれど
イルカが急に現れたり消えたりすることがある。

どうしてあそこに居たのに
いまここにいるのというような。
Orbsも普通の動きではない
考えられない普通の動きではない
あそこにいたのが消えてあちらにいって現れるというような
動きがみられる。

そのようなことからも
イルカ達ととても似ているような気がするのです。

Orbsのなかに顔を突っ込んでみたことがあります。

それはとても大きい
TIMEとSPACEを超えた空間だったのです。

今まで自分のここからここまでと
リミットー制限していたバウンダリーー境界線があったのが
全部なくなってしまったような。

MIBメンインブラックの映画にもあるように
とても似たような
とても大きいものと小さいものが
両方いっぺんに存在している。

そのような感じなのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そしてジョン・オーシャンの実験で私が撮影した写真。
この確率はどのくらいのものなのだろう?









ジョンの掌に瞬間にOrbがちょこんと乗っていた。

その後の会場内にもOrbが満ちていた。





この傾向はその後開催された
米国パームスプリングス・英国グラストンバリーの
カンファレンスでも全く同様に
もしくはそれ以上に顕著だった。



手前に居る白髪の紳士が
スタンフォード大学名誉教授のティラー博士。
ティラー博士にはぜひ教えを乞いたいと思う。
博士がOrb研究は一時のブームで終わらせてはならない
貴重な研究対象だとおっしゃったことが忘れられない。





以下はグラストンバリーで開催されたカンファレンスにて。







お互いに撮影されたOrbを見せ合う人たちは
まるで童心に還り子ども心を交わすかのよう。
微笑ましくも気がつけば自分もそのようなマインドの中にいた。



人の喜びの意識と呼応する光。
光に呼応する人の喜びの意識。

Orbの光に触れ
人が皆
しなやかに
かろやかになれるということ。

その存在と現象に惹かれてやまない。

Friday, January 09, 2009

◎Present・Gift

夜ごと空が冴え渡り
月が真に美しい。

今年は1月11日のお昼間に初めての満月を迎える。
ムーンカレンダーを調べてみた。

2009年の満月・新月の営みは以下の通り。

満月 1月11日(日)  12:27
新月 1月26日(月)  16:55

満月 2月9日(月)  23:49
新月 2月25日(水)  10:35

満月 3月11日(水)  11:38
新月 3月27日(金)  1:06

満月 4月9日(木)  23:56
新月 4月25日(土)  12:23

満月 5月9日(土)  13:01
新月 5月24日(日)  21:11

満月 6月8日(月)  3:12
新月 6月23日(火)  4:35

満月 7月7日(火)  18:21
新月 7月22日(水)  11:35

満月 8月6日(木)  9:55
新月 8月20日(木)  19:02

満月 9月5日(土)  1:03
新月 9月19日(土)  3:44

満月 10月4日(日)  15:10
新月 10月18日(日)  14:33

満月 11月3日(火)  4:14
新月 11月17日(火)  4:14

満月 12月2日(水)  16:30
新月 12月16日(水)  21:02

その時々刻々に今年どのような思いを重ねてゆくだろう。

Past Present Future とは
過去 現在  未来のこと。

そしてPresent-今ここにあるということを
夜ごとの月の冴え渡る輝きを見つめていると
まさに月天からのプレゼントー贈り物であることを思う。

Gift-この意味は
神様から与えられし贈り物という意味があるのだという。
天を仰いでいまここに贈り物を受け取る。

Majestyの屋上からも
よく天空を見つめて天体望遠鏡で月や星を探ったものだ。

そして度々満月の写真撮影を試みた。



世界中の人たちのまなざしと思いが
この月には集まっているのだ。
輝きは冴え渡る。

ハワイ島のマウナケア山頂には
年間通じて常に宇宙観測に好条件の天空環境があるため
世界中の宇宙へのまなざしが集合している。



標高は4,205 m (13,800 ft)
左から
日本の国立天文台すばる望遠鏡。
カリフォルニア天文学研究協会(California Association for Research in Astronomy)が行っているケック天文台2基。
2基の望遠鏡からなるため相互の望遠鏡間によって光赤外干渉計としても活用が可能だという。
そしてNASAの Infrared Telescope Facility (IRTF) 。

この地はハワイ大学が管理していて
各国の研究機関から土地使用料が支払われているという。

もともとハワイのマウナケアは『白い山』という意味がある。
昔から許されし者しか辿り着くことのできない
ハワイ原住民にとってこよなく大切な聖なる山とされていて
今も天文台のそばにはエメラルド色に輝くミステリアスな湖があって
そこからは多次元に入り込むのだと信じられている。

そのような言い伝えと共に現代の最先端科学が共存している地には
13基の天文台が建っているけれど
ハワイの聖なる山を守る約束から
これ以上の天文台は建造してはならないとされ
新しく建てるためには既存のものを壊して建て替えるという約束が
交わされているのだという。
その価値観にも
受け継ぐべきものへの知の先端がひそんでいるように思えて興味深い。



ある日の夕べ
その山頂に刻一刻と昇り来る満月と出会った。



神々しいまでに輝く満月に
手を伸ばせば届くように感じたのは
天文台のそばに身を寄せていたからだろうか。
科学と精神のトワイライトゾーンにあって
今もなお心に鮮やかに思い浮かぶ光景。

同じハワイ州カウアイ島では
ある日の満月の夜
パームツリービーチでOrbとの交感のひとときを迎えた。

Orbは満月によくリフレクションする。
連続写真を試みる。
写真向きを横に連続に並べてみる。



















こうして月光を浴び
Orbが満月のまわりをムーンダンスすることに接触できるのは
カウアイ島がその環境を守り抜き
闇を大切にしてその静寂なる精神の光明を今に保ち
乱開発を回避する知性にあふれているからだということへの
限りない恩恵を想う。


近くの浜辺にもOrbが横溢に写り始めた。
その動きは風に乗って訪れるかのよう。



満月の夜
空の中にはOrbが満ち逢いて
海の中でも珊瑚の産卵に満ち溢れ
心の中には心地よい光が満ち注がれる。

生命力とつながる月の光をいまここにいただく天空からの贈り物。

Thursday, January 08, 2009

◎Heart・Hurt

『信頼』ということを考えている。

心傷つくことがあると
なお一層
心優しいことに敏感になるものだと思う。

世の中で一番大切なものは何か?と問われたら
何と答えるだろう?と考えてみた。

創業250年の記念の年を迎える英国ブランドが
その経営困難から英国で会社更生法を申請。
工場で日々丁寧な手仕事の技を磨いてきた職人さんたちが
皆解雇されるというニュースが届いた。

皆ブランドを愛していたにちがいない。
皆ブランドを誇りに思っていたにちがいない。
皆ブランドを責任をもって育もうとしていたに違いない。
皆ブランドを未来に継承したいと思っていたに違いない。

その心の灯が消えてしまうということは
どのようなことなのだろう?
何が原因となってしまったのだろう?

ご一緒に仕事をさせていただいたことがある。
皆すばらしい力を保有される方々だった。
心が痛む。

そのブランドルーツは
ジョサイア・ウエッジウッドという人物。
科学にもとずく緻密な研究と
数千回を超える膨大な回数の試験を重ね
時代のニーズに応える比類なき素材を開発。
数々の名品を世に送り出し
母国の正統水準を飛躍的に向上させ
その優れた開発力が生み出した独自の技は
250年の歴史を迎える現在でも使われ続けている。

その理念は
洗練された実用品の提供にあった。

「美しさと機能性を追求し人々の生活を豊かに彩りたい」。

優雅で美しい製品を
装飾的な製品と実用的な製品とにわけて制作。
その製品を産み出した背景には
「これまでの制作を一歩進めて芸術の域にまで洗練させたい」
という高い理想を掲げる一方
誰もが生活を豊かにするための日常製品も生み出してきた。
壮大な夢のためにはどんな苦難をも乗り越える
強い精神があったと語り継がれている。

そのようなブランドの
フィロソフィー・ヒストリー・ストーリーがあっても尚
持続可能な存在に不足するとはどのようなことなのだろう。

日本のメディアでは一方的に
「中国の廉価な食器に追われて経営破綻」というような
吹聴をしているが
ただそれだけなのか?

考えさせられる。

お金がなければ実現しないこと。
お金がなければ持続しないこと。
お金がなければ継承しないこと。
お金がなければ・・・・・

今の時代に
世界はお金がなくなってきているのだから
どんどん消え行くものが出て来てしまうだろう。

では
お金がなくても実現できること。
お金がなくても持続できること。
お金がなくても継承できること。

それは何だろう?
そのようなことは可能なのだろうか?と考えてみる。

お金以外のリソースについて考えてみる。
有形・無形のものがあることに気づく。

経営資源には
人・物・金・情報・時間・空間があげられる。

物と金と空間は有形のものだ。
数と量と規模で計られる。

人は目に見えるけれど
その人のなかに保有されるものはすぐには見えない。
そこに付随して情報と時間は人の使いようによって
幾らでもその価値を変化させる。
物と金も人がどのように使うかによって
その価値は変化する。

世の中を創る人。
その人が何を一番大切と思うかが一番大切?

その人がどのような心をもつものであるかが一番大切なのだろう。
であるならば
その人の心がいかに動くかということが
一番大切ということにもなろう。

普段の生活のなかで
人の心は動き続けている。
固定されていない。
それは生きている証しでもあり
心の動き方次第で苦楽を共にすることになる。

となれば
心の動きに伴う知の解釈の力
理解の力にこそ救済があるということになる。

心をどのように現在として扱い
心をどのように未来に歩ませるか。

興味深いことに
現在がよければ
過去のすべてが肯定的になる。

たとえ荒波が打ち寄せて来て
その時はたいへんであったとしても
その荒波を超えて今現在があると認識する力があれば
すべてが実りになってゆく。

その心の動きをどのように支えるか。

最終的に思うことは『信頼』。
信じる力。
そして自分一人だけではない相互信頼ができる
そのような存在への認知力なのではないかと
考え至る。

例えどのような出来事があったとしても
その出来事は生命を得た存在の
人生の学びであって
その学びをひとつひとつ獲得してゆくことで
自らへの『救済』があることの
世界への『信頼』があることこそが
世界で一番重要かつ大切なことのように
考え至る。

世の中は暗澹たる世相の中で
多くの人が価値の変換(シフト)が起きていくのではないかと
未来への展望を語る。

100年に一度の金融恐慌といわれる現代
経済破綻を通じて得られる学びは
『相互救済』という互助が互恵になる
心の社会構造なのかもしれない。

互いにできることをもって
互いに助け合い支え合い
そして互いに喜びを分かち合うことの『絆』への
心の動きを自己認識してゆく
そのような時代の到来の足音に耳をそばだててみる。

心の動きを考え
ふとOrbの動きを考える。

Orbを撮影するためにはOrbとコンタクトする心がけ
Orbを追いかけるのではなく
Orbを招待するようなHospitalityが必要だと
海外のOrbカンファレンスではよく語られたものだった。

初めにOrb Huntingと呼ばれたワークショップが
その後Orb Invitingとすぐに概念が改められた。

Huntは傷つくが
Invitingは心潤わせる。
実に心ある表現だと感じる。

New Yorkのマンハッタン中核に位置する
Grand Central Teminal (中央駅)は
世界一ホームの数が多い駅として知られる。

その空間ではいつでもOrbがよく写る。
はじめてのOrb撮影はこの写真だった。



突然に飛び込んで来たそれまでとは異なる
文様を刻むOrbとの遭遇にはとても驚いたことを思い出す。
以来ずっとOrbについて考えつづけることになった。



その歴史的建造物は1860年代に完成し
その後1913年に改装修復され
その後もさまざまなディテールが
その建築のスピリットや
その空間に対する人が寄せる心を裏切らないように
丁寧な手入れが繰り返されている。

一時期その美しい歴史的建造物を立て壊し
高層ビルにしてお金儲けをするという話しが
デベロッパーによってもたらされた時
かのジャクリン・ケネディ・オナシスが
果敢にその保存に働き
現在は市の公共施設となり温存されることとなった。 


東京駅そして丸の内の東京中央郵便局。
この歴史的建造物もこれから改修・高層化されるにあたり
これから長期にわたる工事がはじまる。
いまや東京の表玄関はすっかり灯りが消え
今年いかにも殺風景だ。

駅舎からも郵便局建物からも
悲しいことに大時計の針がすっかり取り去られた。

知と心あれば
建物の改修といっても
人々に時を告げる時計の公共的役目として
時計の針を動かし続けていてもいいのではないかと
その民営化の心の動きには
他者視点への信頼を欠くようで実に心もとない。
心が痛む。

設計者の初心にあった人の創造のスピリットを見失うことなく
ずっと人々の信頼と心寄せて来た歴史を敬愛し
知性の粋を尽くしてスピリットを保たれることを願いたい。
ずっと心の灯を消すことなく保たれて欲しいと願う。






昔ある朝の明け方に夢を見た。
Grand Central Terminalのフロアー中心に立ち
未知なるものとのコンタクトがはじまるという印象だった。
日記にも絵入りで描いている。
リサにその日その話しをしたのだった。
リサは『MIB』のようだと言って笑っていた。

それでNew Yorkを訪れた時
その空間に立ちリサに
「そう、このあたりで人と人が向かい合って立っているの。
 そうするとお互いの意識を無言の内に感じ合えて
 そして未知の存在とコンタクトしてゆくようになるっていう
 そんな夢だった。」と夢物語を話しながら写真を撮影すると
無数のOrbが写り込んで来たのだった。

以来この空間では常にOrb Contactが顕著にできる。
写真集『The Orbs-Japan.com』でも数多くのこの場所での写真に
編集者の方が興味深い印象をお持ちになり
中心となって掲載されることとなった。

しかも時間を経ても同定できるようなOrbの存在や
独自の共通の振舞があったりする。

それがなぜなのか。

時折出張毎にこの空間で連続写真撮影を試みるようになった。
カメラの固定位置に配慮しながらOrbの動きを追いかけてみる。











視座と角度を変えて
心のOrb Invitingの意識を抱き
こちらも連続写真実験。











同定できるOrbの存在を認めると共に
その動きを繰り返し眺めさまざま考えてみる。

Orbを赤外線ビデオカメラで撮影実験した人がいて
その映像を見たことがある。
実に素早い動きで出現し回転を見せながら
ふっと消滅してゆく興味深い動きをしていた。

訪れてやがてうつろい消えてゆく動きあるものたち。
心に浮かぶうたかたを思う。

それにしてもこの美しい空間が現存することは奇跡に思える。

日本では物心両面の価値創造が
どこかで絶えてはいないだろうか?
何も継承されずに分断されてゆく時代ではないだろうか?

世間への信頼
他者への信頼
自己への信頼

それらを守り抜く力をたずねたい。
それは『信頼』に答える『約束』へと発想は広がる。

常に動かすべきものと
常に動かしてはならないものと。

そのようなことをOrbの動きを追いながら
心の動きを照応させてゆくひととき。