Sunday, November 01, 2009

◎THIS IS IT

閑話休題。

週末は穏やかな天候が続く。
深まる秋の小雨も心地よい。
少し前には庭には季節の境界線を超えて
さまざまな蝶が羽ばたき訪れて来ていた。




蝶のように羽を有する存在を
妖精と見立てるようになった世界文化のルーツは
どこにあるのだろうと考えてみる。
浮世離れする浮遊するものたちに
その飛翔体としての見立てから羽をつけたのかしら。

日本にもすっかり定着したHalloween。

カトリックの諸聖人の日-万聖節の前晩10月31日には
毎年シロクマでなくてもさまざまなコスチュームに身を包み
魔女や精霊やドラキュラや黒猫や摩訶不思議なお化けたちが
盛大に街を闊歩するようになった。

子供だけではなくて大人までなかなかの迫力で
親子のお揃いのこだわりも見えたりするから
やっぱりこの国の底力は凄い。

Halloweenのルーツは2000年以上も昔
ケルト民族の収穫感謝祭から始まったと言われる。
ケルトの人々にとっては1年の終わりが10月31日で
この日に精霊や魔女が現れたり
祖先の霊が家族を訪ねてやってくる信仰があったのだという。

日本の盆暮正月に他国の暦もどんどん吸収してしまう
この国の不思議なワンダーランドの底力。

秋も深まり豊饒な実りを得て
これから迎える厳しく長い冬の夜を
暖かな春まで無事に過ごすことができるようにと祈り
祖先の魂や地霊、精霊たちにその年の収穫物をお供えする
儀式だったことを思えば私達の日本の慣習にも似て
親しみもあり自然に受け入れることができる文化受容だと思う。

今年は十三夜を過ぎた月も冴え渡って天空に輝き
あまりにも陽気と妖気に満ちていて
あのMichael Jackson のTHRILLERのビートが聴こえてきそう。

その彼岸に旅立ってしまったMichaelの『THIS IS IT』の映画を観て
冒頭から涙があふれて仕方なかった。
ここにまっすぐに姿勢を正して少し記しておきたい。

MichaelはMichaelの音楽に出逢いMichaelの音楽に目醒め
Michaelの音楽で育ちMichaelの音楽に夢を見た次世代の
音楽の夢を確かに叶えた。

http://www.sonypictures.jp/movies/michaeljacksonthisisit/
このTop Siteに自動的に展開される動画でも
そのリアルなエッセンスを感得できると思う。

Michaelの奥深さはこれまでにあまり伝えられてこなかった。
それはなぜだったのだろう?

自らの50歳を記念して今年の夏
ロンドンの02アリーナで
最後のコンサート公演50回を志したMichael。

その100時間にも及ぶリハーサルを撮り続けてあった
舞台裏の貴重な映像から
今年の4月から6月までの時間の流れを追って
ロンドン公演の舞台監督ケニー・オルテガが
丁寧に映画監督をも務めて奇跡の映画化を実現させた。

全編にわたって
Michaelへの愛惜あふれる優しいまなざしに満ちた編集性。
Michaelのスピリットを掬い上げてゆく丹念な仕事の精華。
深い感動を覚えた。

また繊細に純度の高いMichaelへの配慮と敬意を込めて
リハーサル中に交えられるホスピタリティあふれる
高度なコミュニケーション。
妥協を許さない統合化された到達点を望むMichaelを尊重し
最善の場づくりに向かう高度なプロフェッショナリズム。
深く共感を覚えた。

『THIS IS IT』は次世代に継ぐべき奇跡的な精神の昇華として
Michaelのドリームランド・ネバーランドを実現させて
世界中に感動と共感と発見の和を急速に広げているに違いない。

10月28日より2週間限定で全世界同時公開の予定が
今日時点で配給元のソニー・ピクチャーズ エンタテインメントと
興行先の松竹株式会社とが緊急の話し合いがあったそうで
追加2週間の上映期間延長を決定したと伝えられる。

私は六本木ヒルズシネマのスクリーンを通じて
そのMichaelとMichaelを囲むプロフェッショナル達の
圧倒的に迫る世界をまさに<体験>したのだけれど
不思議なことにそこに聴こえて来る音は
私がMichaelのOFF THE WALLやBADやTHRILLERの
アルバムをSONYのショールームのリスニングルームで
そのリリースされた時代にかけていた音
そのもののように聞こえてくることだった。

当時はアナログレコードがデジタルCDに変遷する
渦中の時代でMTVの初期VIDEOクリップも登場。
多くの来館者に乞われて
時代に先駆けて最高音質のSONYのスピーカーから
わくわくしながらその音源を鳴らしたように記憶している。

その頃の耳に馴染んだ音と
映画の映像から劇場内に流れてくる音声のテンポも音質も
まるで懐かしいその時代そのものが
再現されてくるかのように聴こえてくる。

目を凝らし耳をそばだてて映画に集中しているうちに
Michaelが幾度もその映像の中で
「録音した音に忠実にね。オーディエンスはその音を
 期待して待っているんだ。もう一度やろう。」
そのコメントを繰り返していった。

その音に懐かしい時代のあれこれが思い浮かぶ。
今の時代はどんどんタテリズムでデジタル化されているけれど
80年代半ばの音にはリズムとメロディーが息づいている。
スウィングがある。
そしてMichaelはとても日本的感覚ともいえるこだわりを
彼の音楽性の中に幾度も伝えていた。

「もっと余韻を。もっと繊細に。もっと間を。」

その意気は音と動きのパフォーマンスを知り尽くした聖域
神技の域に近い聖粋(スピリット)だと惹き込まれる。

それはあまりにも正確で精緻だ。

彼の奥深さはこれまでにどれだけ伝えられていただろう。
身体のアート化の神化を彼の一挙手一投足から読み取る。

カウントされるMichaelのリズムは完璧で狂いが無い。
世界中から選りすぐられた若くてタフなバックダンサー達が
間近の映像で息があがっているのがわかる。
その前面にあってMichaelの呼吸はあくまでも密やかに
乱れを見せることがない。

時折中空に何かを掴もうとする。
その彼の手の先には
美神ミューズとその天使エンジェルの仲間たちと
コンタクトしているかのような至福の表情。

彼はその瞬間最高に幸せであったのだと知る程に
私達にも精神の救済が付与されていくことに気づく。

若手のダンサーを前にステージ上で見せる
Michaelの魂に迫るパフォーマンス
そしてバックコーラス・ギタリストの女性達を
最高度に輝かそうとするMichaelの感性の抱擁と導引。

そこには次世代の人を育てる最高の先生となり
創造者となっているMichaelの純粋な姿がある。

そのMichaelを凝視する
次世代の若い人たちの瞳の輝きの力がすばらしい。

オルテガ監督がその姿を掴み印象的に描いた
「これはロックンロールの教会だね!」と結んだシーンは
まさに世界への祈りにあふれたMichaelという存在の
昇華の瞬間として鮮明に人々の記憶に刻まれるはずだ。

人が人に何かを伝えようとする寛容さ。
人が人から何かを受け取ろうとする謙虚さ。
そこに生まれ出る互恵の高揚感。

心の昂る瞬間をHUMAN NATUREとして
その美しいメロディーで謳い上げたMichaelは
伝え知るさまざまな話題を通じても
その人生においては精神的にいばらの道も歩んだかもしれない。

けれどそのいたたまれない境涯においてこそ
その最後に「THIS IS IT」と囁いて
はにかんだ笑顔を人々の心に刻みながら
聖人の確かな域に到達したのだと安堵させてくれるGIFTをまた
Michaelは後世に純粋贈与として残していってくれたのだと感じる。

THIS IS IT.

それは最高の
そして最後のというダブルミーニングを抱く。
Michaelにこそ与えられた奇跡のキーワードだったのだと思う。

プロフェッショナルの真摯なまなざしと
そして勇気と祈りを与えてくれたMichael。

彼がその瞬間に至福であっただろうと知ることで
私達がまた幸福になれるということを知ること。

上映後劇場内に大きな拍手が鳴り止まなかった。
二度観た。
二度共にその拍手の波が
観る人たちの深い共感と感動を示していた。

Michaelはきっとその背に羽をつけて軽やかに笑みながら
この空中を優美に舞い踊り
この地球を壮大に駆け巡り
次世代の子どもたちのことを愛と共に見守っていることだろう。

ありがとう。
感謝を込めて。

◎Wonderland・Dreamland-3

今年の晩夏のことを
これから少し振り返りたい。

ガリレオ・ガリレイが天体望遠鏡で夜空の星々を覗いて
今年でちょうど400年を迎えるという2009年。

先人の叡智あふれる人類の宇宙へのまなざしに敬意を表して
ベネチアーフィレンツェーバチカンを巡る。

昨年出版されたOrbの写真集
「The Orbs-Japan.com Project」をきっかけに
この夏の終わりにある方との出会いがあり
ささやかな私自身の来歴をふりかえる機会をいただいた。

Orb写真集を幾冊も購入してくださり
Giftにしてくださっているという
その方との精神的な対話を試み重ねているうちに
Orb写真のなみなみならぬ数多くのフェノメノンとの邂逅が
思えば私自身の初期経験のはじめから
なんと20年以上をあっという間に経ていることに気づいて
あらためて愕然とした。
逝く年を指折り数えてみても切なくなる。

Orbという未知の存在について考えることは
自らの内にある想像力を果てしなく羽ばたかせることを許される。

そのインヴィジブルな世界の豊潤さの可能性に触れることで
共にインヴィジブルな精神性の中に幸福感が増すことは
日常に重ね合わせて並行する夢の世界にたゆたう心持ちもするもの。

けれどそれを一般的に他者と分かち合おうとしても
日々の現実的な諸事に追われてあれこれと
徒労と疲弊のうちにマインドが空転してしまうことも了解した。

いまほんとうにこよなく大切な何かを見逃してはいないかしら?
日々の意識の緩慢さの中に何の取組みも実践しかねているうちに
何の進歩も気づきも得られないままに
日々を費やしているばかりではないのかしら?

ほんとうは何か気づかなくてはならなかったこと。
ほんとうは何か受け取らなくてはならなかったこと。
ほんとうは何か差し出さなくてはならなかったこと。

そのようなことごとが何か待ち受けていたようにも思えるのに
あっという間の日々の光陰の中に
忽ち漫然と看過してしまっているのではと焦燥に駆られた。

未だ間に合う?

来年からの事業計画を錬成するために
観察の原点に立ち戻って未来を探るべく旅立った。

それでも地球は回っていると言明したガリレオ・ガリレイが
後世に残したことは現代何であるのだろう。
宇宙観未明の時代の人々の姿を遠く遥かに思い浮かべる。

それでもOrbは存在すると現代に追求言明したとして
後世に残されゆくことが何であればいいのだろう。
精神と物質の統合観未明の時代にあるべき姿を尋ね行く。

人には夢や希望を抱く本能が授けられている。
その実現への意志が能力として開花してゆく人の力。
人と人を繋ぐ間にあるはずの人間力。

そのあるべき方向と指針を尋ね行く。

ベネチアに向かう途中の飛行機の窓から覗いた月は
すこぶる煌煌と静かなる海に照射されて美しかった。





飛行に共に伴走するそのはっきりとした光を見つめながら
イスラムとキリスト教の経済思想の大きな差異を教示する
中沢新一氏の『緑の資本論』の文庫本を片手に眠った。

圧倒的な非対称。
そのグローバル資本主義について価値形態の変遷を模索しながら
現代の心の変化を試みたいと願う。

ベネチアに到着した日の夜はちょうど満月だった。
水辺に囲まれた宿からサン・マルコ広場へ。
水の道標に従って静かなる運河を幾つも越えて
石で組まれた外路を進む。




フェニーチェ劇場の広場前
Ateneo Venetoの建物上
聖人たちの脇にふっと気配があってフラッシュを向けると
望月の満ち満ちた気配の空間に
Orbもふうわりと浮かび来る。
ゴッホの凝縮された筆致を思い出すようなエネルギーを内包。




時の層が重なり合う石壁に囲まれて
あまりにも寡黙に歴史をたたえる静寂なる夜の帳の中に
言葉さえも放ってはならない思いにかられて
ただただ黙々と進み行くと
目の前がぱっと開けた。
光溢れるサン・マルコ広場の賑わいがあった。



そこは遠く幼少の頃に夢に見たドリームランドのようだった。

なつかしい幻灯機のような光こぼれるカフェからは
笑みにあふれた人々の語らいがさざめき
1000年を超える昔昔から人々が行き交った広場に
音楽がこだまする。




1720年の創業としるされているカフェ・フローリアン。
文人・藝術家に愛されて来たという由緒あるカフェのテラスでは
今も昔もかわらないスピリットが貫かれて
連綿と夜な夜なごきげんな熱情的コンツエルトが奏でられる。





その席から中空を見回すと
829年にかのアレキサンドリアから持ち帰られた
聖マルコの聖遺骸を祀るサン・マルコ寺院前に
高さ96mの大鐘楼Campanileが聳え立つ。
確かこの広場から
ガリレオ・ガリレイは天空の星を覗いたはずだったと思い馳せる。



400年の時を経巡り明日は大鐘楼に昇ってみようと
夜空を見上げると
思いがけず定刻の鐘が響き鳴り
満月とOrbのダンスがはじまった。








大鐘楼のてっぺんには金色の大天使ガブリエルが
風の吹くままににその姿を360度回転させて街を見守り
遥か遠くにまでその鐘は響き渡る。

満月の夜気を振わせる美しい音色が天と地をつなぎ
その間に心地よく私達は座して目を閉じる。

・・・つづく