◎Birthday・Birdday
今年も◎◎回目の誕生日を迎える。
今年も那須の二期倶楽部で迎えた。
.jpg)
昨年の二期倶楽部でのバースデイは蛙由来だったことを思い出す。
http://mcplanning.blogspot.com/2009_04_19_archive.html
今年もその地に還ることができたことを嬉しく思う。
福寿草が春の到来を告げてそこここに花開く。
.jpg)
ここ毎週の数日間仕事都合があって
日々を二期倶楽部の豊饒なる森の中に過ごす幸福。
到着した日の夜は空に晴れ晴れと星々が輝くが
しんと冷え込む夜気のなかに風花が舞い
深夜には強い風と共に吹雪く。
暖炉のパチパチとはぜる薪の香りと揺らめく暖かな火が恋しい。
目覚める翌朝の真っ青な晴天は
大地の真っ白な積雪を照り返して
どこまでも光射して澄み渡る眩しさ。
日々の天候の自然の営みの変化の中で
いつも森の中を歩くと天を仰ぐ。
天空に繋がる木々の枝々が触れ合い
春の到来をその内に芽生えさせている。
その美しさにひきこまれて
ぐるりと天にむかって自転してみる。
.jpg)
ぐるり・ぐるりん。
.jpg)
ぐるぐる・ぐるりん。
このモチーフにとてもよく似ている
脳内のシナプス達が嬉々と動き出す。
見えないものでもそこにあるものたちに目を凝らす。
そこに昼間の星が輝いていることに気づく幸福。
それをOrbといわずともきっと木霊も居るだろう。
ふと木々達の対話が聞こえそうで耳を澄ましてみる。
そこに鳥のさえずりが届いて来ることに気づく幸福。
.jpg)
美しいバードソングを
嬉しくバースデイソングに思い
しばしその存在を探して木々の合間を見渡す。
目を凝らすと木々の間に間に春の宿り。
そして木々が宿る大地に目を移す。
.jpg)
木はその地に根ざし逞しくも優美だ。
見えないものに目を凝らす。
そうするとこれまでには見えていなかったつながりが見えてくる。
天空につながるように
大地の中にもつながりあう木脈があることを思う幸福。
つながりあうことは受け入れ合うことでもある。
そうして触れ合い・交わし合い・重なり合い
それまでの想像の許容が広がり合う。
今年そのような
つながる年になるといい。
VISIONARY INSTITUTEがいよいよ春を含み胎動をはじめている。

(*先日アップしていた際の上記データ中
7/8開催の福原義春会長の実施日に
7/20という誤植がありました。
現在アップしているデータが修正後の新しいものです。
ご確認くださいませ。)

この場が多くの方々の思想や思潮のつながる好機となればと願う。
重ねて過去・現在・未来が連綿と価値ある創造のもとに
そのミームを繋げ本質を尋ねる機会となることを希求したい。
そのためには部分だけに留まらない
部分のつながりの先にある全体を鳥瞰する力が必要だ。
この企画の弾みがついたのは昨年の晩夏だった。
越後妻有のアートトリエンナーレ
『大地の芸術祭』に出かけた時のある光景だった。

芸術祭に出かけたはずなのに
心奪われたのは
その大地が生み出す手つかずの圧倒的な自然の妙だった。

時々刻々と変化する山々の神妙さにため息をつき
往々来々と生息する道々の種々の草木に目を見張る。


美しい稲田が広がり
そこに浄土を思わせる蓮華に出会う。
まるで鳥の目になったかのようになって
その中に分け入った。






この美しさをどのような言葉で喩えたらいいのだろう。
そこにある存在に私のなかにあるものが揺らいだ瞬間だった。
そして
その直後に決定的な光景がここにあった。


人が自然の中に日々の営みを繰り返すことの
その「はたらく」ということの本質が
一瞬のこの光景から私の内に流れ込んで来てしまった。
それはどのようなアートの作品を通じてということでもなく
アートという技法が実は私達の日々の労働の営みの中にこそ在り
その日々の営みの中にある本質的な生産性というものに気づかされる
そのような一瞬の光景だった。
「はたらく」は畑を耕す楽しみの畑楽にも通じるのではないか。
「はたらく」は傍を寛し楽をさせる傍楽にも繋がるのではないか。
昔は田楽といって田畑の土地の神々や精霊に感謝を捧げ
共に働く人々同志喜びと願いを分かち合った文化があった。
音楽があり舞踊があり馳走があり祈念があり
それは大自然を舞台に共に一体化した総合藝術だった。
そのような美しくも豊かな精神文化も花開いたことなど
一瞬にして私達の「生産」という生み出すことの喜びと
つつがない豊饒の実りへの願いと感謝という
目に見えないものへの祈りが身近にあったことの美しさを
感慨深く思う。
人がそこに動く「働く」。
それは自然と共になくてはならない。
そこにある人の存在に
私の中にある
人としてあるべきものに気づく契機を与えられた瞬間だった。
人そのものももともとはこの大自然の産物のはずなのだ。きっと。
人と自然が対立するものであるはずがない。
自然にそぐわないものが自然に進むはずがない。
それは突然に来ったものなのではなく
見えないところで連綿とつながっている
私達の遺伝子に埋め込まれているはずの
SOMETHINGーおおいなるなにかーへの
確かな気づきなのだと思う。
人為ということは何なのか。
自然ということは何なのか。
日本経済の高度成長期を経て泡沫な時代を終えて
失われた20年が過ぎ行く。
本質的な労働の価値。
そして
そこからうまれる生産の真価。
時機を迎え必然真摯に取組みたい。
「今、ほんとうに私達が学ばなくてはならないこと」を
今年このあやうい時代性の中で
共に本質を志す方々とじっくりと見つめてつながりあいたいと願う。
それはヴィジョナリーという先見の未来を見つめる人たちと共に
対話を重ね交え
そこから核心が望めることを願って。

そういえば
越後妻有ではこのようなこともあった。
朝露の中に美しい自然の妙に触れ目が離せなくなった。
無数のたまゆら。



自然が造化する
光輝の深淵にうっとりとして茫然陶然としていると
そこにも茫然陶然としている仲間が居たから吃驚。

あっと言ったら
むこうもあっとばかりぴょんと跳んだ。
今年も若ガエル。
そして本質・原点に還る。
そして更にはイノベーションの意識を変える。
跳躍の年をと未来を鳥瞰してみるバードビュー。
*写真はすべて拡大できます。
写真の上をクリックなさってください。